1782 〈1977年日記 29〉

77年7月25日(月)

暑い。日記に書くこともない。
そのくせ、電話が多い。
「サンケイ」、四方さん、原稿を電話で。

藤井 重夫さんから、暑中見舞い。

 

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77年7月26日(火)

朝、原稿を2本。
東京に向かう途中、電車の中で、「週刊小説」、1回分。
1時半、「読売」で、北村 佳久さんから、私の訳書を受けとる。内村 直也、荒 正人、五木 寛之さんに献呈。
2時、「ジャ-マン・ベ-カリ-」で、「南窓社」の岸村さんに、原稿をわたす。「日本及日本人」の女性編集者と、「週刊小説」、中村君に原稿をわたす。
やがて、野村君がきたので、「ビリチス」(ディヴィッド・ハミルトン監督)を見た。さすがに、一流の写真家なので少女たちを美しく撮影している。しかし、この映画に、たとえば川端 康成の「眠れる美女」に見られる、私たちの市民的な秩序さえゆるがすようなエロティシズムがあるだろうか。はじめから、そんなエロスを追求したわけではない、といわれればそうだろうというしかないが、ディヴィッド・ハミルトンの美少女は私たちを戦慄させるような美をもたない。しかも、内容はひどく空疎で、試写室を出たとたんに、美少女たちの印象は消えてしまった。

5時、「ジャ-マン・ベ-カリ-」に戻って、井上 篤夫、本戸 淳子のふたりに会って、レジュメを受けとる。井上君には「トニ-・ロ-ム」ものを渡した。

6時、「区民センタ-」で講義。これが、最後の講義になる。わずかな時間に、ルネサンスの社会、文化をうまくダイジェストするなど、はじめから私の手にあまる。

講義のあと、受講生の二、三人が、教室の外に立っている。みんな私を待っている。私と話をしたいおばさまたち。私からさそって、コ-ヒ-を飲みに行く。話題は、当然、ルネサンスに集中する。

ルネサンスは、中世の時代とまるっきりちがった考えかたをとった。経済的、社会的、政治的な変化は、革命的なものを内包している。中世の単純な農本経済は、拡大をつづける商業、製造業、都市の発達、貨幣経済から生まれた資本主義に取って代わられる。
こうして文学、科学、世界に対する視座、あたらしいアティチュ-ドがうまれた。
ルネサンスは、世界に対するあたらしい姿勢をつちかった。

だが、私は、どうもこういう考えかただけがただしいのではないような気がしている。
ルネサンスの人は、中世の人々とそれほどにもちがった考えかた、ちがった生きかたをしたのか。私には、そのあたりを論証できるはずもないのだが。

 

 

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77年7月29日(金)

「ビリチス」のあとで、「鷲は舞い降りた」を見た。この映画については、「映画ファン」に書く。それと、新聞に私の短いコメント。
「ショッピング」の原稿は、27日にわたした。かんたんに書けるはずだったが、2日つづけて東京に出たため、疲労がとれない。
「実業之日本」、峯島さんに会って、いよいよ翻訳のシリ-ズにゴ-・サインを出していいかどうかを確認する。
本戸 淳子は、ヒラリ-・ウォ-より先に、エド・レイシ-にとりかかってもらう。
三戸森 毅君は、ロバ-ト・ディ-トリチ。宇野 輝雄君は、ウィリアム・フォ-サイス。井上 篤夫にゴ-・サイン。大村 美根子からは、まだ返事がない。
児玉 品子は、このあとの2冊のレジュメ。
こういう陣容で出発する。

「区民センタ-」の講義。報酬は、11万7000円。

「区民センタ-」の講義は楽しかった。毎日、かなり忙しいので、のんびりとルネサンスについて話をするのは、気分的に救われるような気がした。
最終講義のあと、加藤さん、及川さんたちと話す。
このオバサマ、オジサンたちと会えなくなるのは、少し残念だが。

 

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77年7月30日(土)

エリカが、8月12日にアメリカに戻る予定。

私は、明日から、大学の「学寮」に行く準備。

 

 

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