1781 〈1977年日記 28〉

77年7月17日(日)

新築の家に本を運び込む作業に、クラスの学生諸君の応援を頼むことにした。アルバイトというかたちで。
はじめ、きてくれることになったのは、椎名、野村、大久保の三人だけ。野村君は女子学生なので、あまり頼りにならない。
ところが、昨日になって、石井や桜井たちが、電話をかけてきて、17日に手つだいにくるという。数人もいればじゅうぶんだろう。ところが、坂牧、大久保、野村、椎名、和田、栗村たちが、くるつもりという。こうなると、いったい何人がきてくれるのかわからない。
要するに、椿森のアパ-トに移した蔵書を、全部、書庫に戻し、タンスなどの家具などを新築の家に運び込む作業。

学生たちは、トラックで、何度も弁天町と椿森のアパ-トを往復して、本を運んでくれた。
熱心に働いてくれたのは、大久保、野村、小林(実)たち。何のためにきたのかわからない、不熱心なやつもいた。

百合子が食事の用意をしてくれた。ビ-ル、コ-ヒ-、サイダ-、ティ-などを用意してくれた。
学生たちにアルバイト料をわたしてやる。
私の蔵書のなかから、好きなものを一冊、進呈すると約束した。

学生たちが帰ったのは、6時。

 

 

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77年7月18日(月)

雨。新築の家は、ほとんど完成しているが、一部分、電気が入らない。

 

 

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77年7月19日(火)

午後2時半。新橋、「ア-トコ-ヒ-」で、「二見」の三谷君に、「カトリ-ヌ」の最後の原稿をわたす。

この作品には、私の・・が隠されている。

3時、「コロンビア」で、「ザ・ディ-プ」(ピ-タ-・イェ-ツ監督)の試写を見た。新婚旅行でバ-ミュダにきたカップル(ニック・ノルティ/ジャクリ-ン・ビセット)が、海に潜って、麻薬のアンプルと、スペインの古金貨を発見する。この麻薬は戦時中、遭難して沈没した船のものらしい。これをめぐる悪人たちの動きにまき込まれたカップルに、灯台守(ロバ-ト・ショ-)が協力する。
ジャクリ-ン・ビセットがいい。

5時過ぎ、「実業之日本」、峯島さん、土山君に会う。原稿をわたした。
N.N.と会う約束をしたのだが、会えなかった。

6時半、「区民センタ-」。講義。
早く帰ることにした。ところが、小岩で落雷事故。総武線のダイヤが乱れている。

ルパ-ト・ポ-ルから手紙が届いていた。
アナイスの件。今後は、「ユニ・エ-ジェンシ-」の青木 日出夫君と、ガンサ-の交渉になる。ちょっと、あきれた。この内容を見た瞬間、ああ、これでアナイスの「日記」は出せないなと思った。これまでの私の努力は失敗に終わった。
「実業之日本」は、ガンサ-の条件をアクセプトしないだろう。アナイスが来日したとき、私と辻 邦生に会ったが、青木 日出夫君が通訳してくれたのだった。
アナイスが、ガンサ-に、翻訳権の交渉は、私でなく青木君に変更するようにすすめたのかも知れない。
私としては、青木君がガンサ-をうまく説得してほしいと思うが、おそらくこれはむずかしいだろう。それにしても、アナイス出版は、どうしてこんなにむずかしいのか。

杉崎 和子女史から手紙。私のファン、初山さんから手紙。

 

 

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77年7月20日(水)

家はほぼ完成。百合子が家財道具を運びはじめた。

 

 

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77年7月21日(木)

「研究社」の伊藤 康司君。 ポ-ノグラフィ-論の依頼。引き受ける。

「ニュ-ヨ-ク・ニュ-ヨ-ク」(マ-ティン・スコセシ監督)。
太平洋戦争が終わった日。ニュ-ヨ-クじゅうが沸き立っている。サックス奏者、「ジミ-」(ロバ-ト・デニ-ロ)と、しがない歌手、「フランシ-ン」(ライザ・ミネッリ)が、その興奮のさなかに出会って結婚する。しかし、ポップスのシンガ-と、バップ系のジャズをめざすミュ-ジシャンではソリがあわない。すぐに離婚してしまう。数年後、「フランシ-ン」は、「ジミ-」作曲の「ニュ-ヨ-ク・ニュ-ヨ-ク」という曲を歌って成功する。ライザ・ミネッリは、歌唱力のある女優で、しがない境遇にもめげずに歌を歌っているニュ-ヨ-クの女の子をやっている。
試写に小野 耕世さんがきていたので、「ニュ-ヨ-ク・ニュ-ヨ-ク」について。
さすがに、いい感想を聞かせてくれた。
「研究社」の伊藤 康司君と、「ルノワ-ル」に行く。「双葉社」の沼田君、渡辺君に原稿をわたす。そのあと、青木 日出夫君。彼は、「デルタ」を「日記」とコミでどこかに売り込むつもり。1万ドルで。これは、私の予想通りだった。
「実業之日本」、峯島さん、土山君にメモ。

「区民センタ-」で講義。

帰り、受講生の星さんと近くの喫茶店に。

「読売」から、「ガリバルデイ通りの家」が届いてきたので、すぐに読みはじめる。
夜、「日経」、青柳君から、美術評論家、石子 順造の訃報。
青柳君は、追悼を書いてほしかったらしいが、私は石子 順造と面識がなかった。

「文芸」の寺田 博が、「河出」をやめたという。「東京新聞」の「大波小波」で知った。

 

 

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