1780 〈1977年日記 27〉

77年7月14日(木)

「日経」、青柳君に電話。会う時間を夕方5時に変更してもらう。
3時から、「ビリティス」(ディヴィッド・ハミルトン監督)の試写を見るつもりだったが、これもやめにした。こんな状態で美少女映画を見たら、歯痛がますますひどくなるので。
5時、「ジャ-マン・ベ-カリ-」で、三戸森 毅(三田村 裕)君に会って、ロバ-ト・ディ-トリチ、もう1冊、ウィリアム・ハ-ディの原書をわたす。三戸森君は、私より年長で、じゅうぶんな実力がありながら、いい仕事にめぐまれず、あまり評判にならない翻訳家だった。この仕事が、彼の転機になればいいと思っている。

「双葉社」の渡辺君は原稿を受けとると、すぐに帰った。5時までに原稿をわたさないと、露骨に嫌な顔をする。私の会ったなかでは、きわめてめずらしいタイプの編集者。
「三笠書房」の三谷君に「カトリ-ヌ」の原稿を。「日経」の青柳君に原稿をわたした。
銀座の「夢二画廊」に行く。
小林 正治の個展。

小林君が、令兄に紹介してくれた。山梨で、国産のワイン、「ソレイユ」を醸造している人だった。画廊の小村さんに挨拶する。
パンフレットに、私の推薦文が載っている。版画1枚を買った。

「区民センタ-」で、講義を終えたあと、加藤さんをさそってコ-ヒ-を飲んだ。彼女はやや細おもて、目もとに一種の魅力をもった女性だった。個人的に、版画(リトグラフ、メゾティント)を売っている。知的な女性で、私の本も読んでいる。「ルクレツィア・ボルジア」を読んでいる受講生がいても不思議ではないが、「マキャヴェッリ」を読んでいると知って驚いた。新聞で私の名を見て、すぐに受講を申し込んだという。うれしくなったとたんに歯が痛くなった。
帰宅して、「サリドン」を1錠飲んだが、歯痛はやまない。講義を終えたあと、美人とコ-ヒ-を飲んだりするからバチが当たった。
深夜、1時過ぎに、もう1錠飲んだ。それでも歯痛はやまない。氷をあてて冷やしたり、ついには歯のウロにクレオソ-トをつめ込んだり。それでもダメで、とうとう気分を変えるため、真夜中に庭に出た。
部屋に戻って、この日記をつけている。
いつの間にか、眠ったらしい。

もう一つ、思い出したので書いておく。植草 甚一さんから、「ぼくのニュ-ヨ-ク地図ができるまで」を頂戴した。いつもなら、すぐに読むのだが、歯痛なので、明日に読むことにしよう。

 

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77年7月15日(金)

まだ歯痛が残っている。そして、暑い。

5時に、大村 美根子さんに、原書をわたすつもりだったが、彼女は、体調をくずしたため、会えないといってきた。残念だが、仕方がない。
「二見書房」の長谷川君に原稿。長谷川君は、ベテランの登山者。月末の中田パ-ティ-に参加する予定。

「区民センタ-」で講義。
帰りに、加藤さんが待っていてくれるかと思ったが、彼女の姿はなかった。なんとなく残念な気がする。
帰りは、そのまま帰らずに川崎に出た。

ニュ-ヨ-クで大停電が起きた。
マンハッタン、ハ-レム、ブロンクスでは、黒人を中心にした略奪が横行した。
14日の夕方までに3000人が逮捕された。
ブルックリン、ベットフォ-ド・スタイブサントでは、ガラスの破片で足に怪我をした負傷者が続出。すさまじい暴動が起きた。

歌手のN.O.が、就寝中、賊に襲われた。15日午前1時過ぎ、港区三田、・・室、N.O.18歳の室内に、覆面の若い男が、ベランダの窓から侵入し、ベッドで台本をよんでいたN.O.に果物ナイフを突きつけた。彼女はナイフを両手でつかんで抵抗し、両手に怪我をした。男は、ネクタイのようなもので彼女の両手足をしばり、さるぐつわをかませた。この事件は、N.O.にとってはキャリア-にかかわるだろう。