77年7月5日(火)
清水 徹君の「読書のユ-トピア」を読んでいるところに、「どこにもない都市 どこにもない書物」が届いた。
ある時代の批評家は、それぞれの立場、理解力は異なっても、その時代の共同研究者といっていい。清水君は頭のいい批評家で、つぎつぎにいい仕事をしている。この本からもいろいろと学んだ。
現在の作家のものをあまり読まないので、清水君の本からいろいろと教えられたが――現代作家とつきあうのもたいへんだな、という気がした。
和田 芳恵さんから挨拶が届いた。肺気腫になられたという。
これからも、いいお仕事をなさるようにと心から願わずにいられない。
大学に行く。まだ咳が出るので、途中で咳き込まないように何度も息をとめたりする。
講義を終えて、Y.T.、下沢と、かるい食事。
下沢は、私とY.T.に気をくばって、あまり話をしない。
77年7月6日(水)
杉崎 和子女史から電話。
「デルタ・オヴ・ヴィ-ナス」に関して、ルパ-ト・ポ-ルから連絡があったという。
エ-ジェントのガンサ-・スタ-ルマンの要請で――ロイヤリティ-・スケジュ-ルを明記すること。サブサイダリ-・ライツに関して、ロイヤリティ-を設定すること。
その他。
ガンサ-は、アナイスの「日記」の翻訳権をとった「河出書房」の契約が切れているので、日本で全巻出してほしい、といってきた。つまり、あくまで「実業之日本」で出せ、という意味だった。これは困った。どうしても無理だと思う。
アナイスの「日記」の翻訳は、すでに原 真佐子訳が出ている。(これは、私にもいささかの責任がある。私は多忙だったため、「日記」の翻訳に手をつけなかった。それを知った原 真佐子が私に電話をかけてきて、自分が翻訳したいといってきた。残念ながら、この本はろくに売れなかった。)
現在、あらためて全巻(6冊)を出せといわれても、「実業之日本」にそんな力はない。私は、ガンサ-・スタ-ルマンが、日本の出版界の実情を知らなさすぎる、と思った。「実業之日本」としても、まず、売れるものを出してから、アナイス・ニンを出したいと思うだろう。
私としては、ぜひにもアナイスを出したい。しかし、「実業之日本」にもちかけても、峰島さんはひるむだろう。
ルパ-トのアドレス。
22×× Hidalgo Ave.,Los Angeles,90035
77年7月7日(木)
午前中、「沖田 総司」を書いていて、「ザ・ディ-プ」(ピ-タ-・イエ-ツ監督)の試写に行けなかった。ジャクリ-ン・ビセットが出ているのに。
1時、「ジャ-マン・ベ-カリ-」で、渡辺君に原稿をわたす。「二見書房」、長谷川君に校正をわたしたが、「三笠書房」の三谷君には原稿をわたせなかった。申し訳ない。
2時、「実業之日本」、峰島さんに会う。
アナイスの件。ロイヤリティ-は、契約時に1500ドル。出版時に1500ドル。1万部以上~3万部までの部数に対して500ドルの追加。サブサイダリ-・ロイヤリティ-に関しては、白紙。アナイスの「日記」出版に関しては考慮するが、目下は、「デルタ」が成功するかどうかにかかっている。
ガンサ-・スタ-ルマンに対しては、こういう返事を送ることにした。私はアナイスのエ-ジェントではないので、今後、交渉が長引いたり、むずかしいことになるようだったら、「河出」の竹田 博さんに、ガンサ-・スタ-ルマンとの交渉を依頼しようか、と考えている。(これには理由があるのだが、ここには書かない。)
峰島さんに対して、私は――「実業之日本」のために、ミステリ-を選んで、翻訳すると確約した。原作がきまったら、すぐに翻訳にかかる予定。スケジュ-ルはキツいが、「実業之日本」のシリ-ズのトップ・バッタ-は、私以外にはいないだろうから。
6時半、蒲田。古本屋を歩いていて、ポ-リナ・ス-スロヴァの「日記」を見つけた。一瞬、ドキッとした。まさか、こんなところに、ドストエフスキ-の恋人の「日記」がころがっているとは思わなかった。血圧が高くなっているのがわかる。教室に向かう途中、不意にカミナリが鳴って、はげしい雨が降ってきた。みんなが、走ったり、逃げまどっている。本が濡れないようにしっかり抱えて、雨にうたれながら、区役所(教室か?)に入った。ただもう、ポ-リナ・ス-スロヴァのことばかり考えて。
教室にいた受講生は、12,3人。
私は、パリに行ったドストエフスキ-が、ポ-リナと落ち合った状況をマクラにフッてから、今学期最後の講義に入った。昂奮した気分を抑えた。講義はうまくいった、と思う。
変なことを思い出した。
ニュ-ヨ-クに行ったとき、シャツを数枚買った。私の買った安い衣料は、全部が、韓国製やインド製だった。どこに行っても、Made in Japan は見当たらなかった。どうやら、安い衣料の部門では、日本の生産は駆逐されている。そのとき、日本の輸出は、車や電子機器の分野で大きく伸びているが、他の分野では敗退を余儀なくされている。
当時の私は、この現象をどう見てよいのかわからなかった。ただ驚いた。
この日記に、どうしてこんなことを書いておくのか、自分でも説明がつかないのだが。