77年7月4日(月)
月曜日は、いろいろな人から電話がかかってきたり、出版物がまとめて届くので、なんとも気忙しい。
「日経」、吉沢君から、「鬼火」(ルイ・マル監督)の試写の日の連絡。この映画はぜひ見たいと思っている。原作がドリュ・ラ・ロシェルなので。
「日刊ゲンダイ」、青柳君から小さなコラムの依頼。
「南窓社」、岸村さんに原稿の件。あとで、杉崎女史とアナイスの件で、もう一度、電話がかかってきた。アナイス出版はむずかしいだろう。「週刊小説」、土山君、原稿のことで。
佐々木 基一さんから、短編集、「まだ見ぬ街」を贈られた。すぐに読みたいのだが、その前に原稿を片づける。
ほかに、「ロ-ス・ベネデイクト その肖像と作品」、マ-ガレット・ミ-ド。
「牧神」9号。雑誌がいっぱい。「北杜夫全集」6巻も届いたので、月報と短編、「白毛」を読む。ほかに、林 美一編集の「江戸春秋」3,4号。
本や雑誌は届いた日に読むことにしている。うっかり読みそびれると、あとからあとからつぎの本や雑誌が届いてくるので読めなくなる。
ただし、重複する本も多い。まず、著者が贈ってくれる。同時に出版社が送ってくる。2,3日すると、新聞社が書評の依頼で送ってくる。さらには、書評の専門紙も、おなじ本を送ってくるからだった。
ずいぶん前になるが、ある有名な批評家の自宅に伺ったことがある。
応接間に通されたが、そのフロアに、寄贈された本がいっぱい積まれていた。幅1メ-トル以上、高さ1メ-トル。ゆうに数百冊に達する冊数だった。いちばん端に、私が訪問前に贈った本が置かれていた。どうやら、私の本は読んでもらえないまま、フロアに積まれたままお払い箱だろう、と思った。
この批評家が私の本を読んでいない、と知っても、屈辱感はなかった。この新刊書の数量の多さを見ただけで、目がくらむほどの忙しさが想像できたからだった。
相手の多忙をかえりみず、突然、訪問した自分の非礼を恥じた。
そのとき以来、人に本をさしあげる場合、その本がそのまま古本屋に直行しても仕方がないと覚悟した。逆に、贈られた本は、何をおいても読むことにした。私に届けられる本など、この批評家に届けられる本に比較すればたいした数ではない。
むずかしい本ばかり読むわけにはいかない。講義の準備のために読まなければならない本もある。
「牧神」9号。杉崎 和子女史のエッセイ。原 真佐子、関口 功のエッセイ。関口は、私と同期。英文科、助教授。日頃、あまり親しくないので、大学で会うことはめったにない。
エリカ・ジョングのインタヴュ-。
百合子がアメリカのおみやげに、エリカ・ジョングの新作を買ってきてくれた。風邪のせいで、そのままにしてあるので、今夜から読みはじめよう。