77年6月01日
快晴。気温は33度。しかも、湿度が高い。
工事はかなり進捗している。
百合子は、アメリカ旅行の前なので、家の掃除をしている。留守中のこと、新築の工事のこと、何もかも心配している。
五木 寛之の「わが憎しみのイカロス」を再読。
「日経」の原稿を書いたので、イヌの子と遊んだり、外の塀にツタの茎を這わせたり、のんびり過ごした。
77年6月02日
曇り。このところ、5時半には起きてしまう。遅くても、6時には眼がさめる。頭がぼんやりしていても、寝ていても仕方がないので起きだしてしまう。
梅干しを焼いて、熱湯を注ぎ、そのお湯を飲むのが習慣になっている。
雑誌で、ルイ・フェロ-の秋のファッション、イタリアのスキ-・ウェアなどをみていて、つくづく太平の時代だと思う。こういう時代に、小説を書くのは難しい気がする。
「双葉社」、堤 任君は、私のアイディアに乗り気ではないらしいが、それでもアクセプトしてくれた。
5時、「山ノ上」。「文春」の村井君に、五木 寛之の解説をわたした。
「アクション」、渡辺君と、新作の打ちあわせ。彼は、小説に特殊な趣向をもっていて、こんどの連載には苦労が多いだろう。気があわないのではないかと懸念する。
7時半、児玉さんと飲む。いろいろと楽しい話題が出た。
新宿の「キャット」に行く。別れたのは、11時半。
77年6月02日
血圧が高くなっている。昨日の酒がたたっているらしい。
「集英社」、松島君のハガキが届いたばかりなのに、文子さんから電話で、もう帰国している、という。
先生はフィレンツェに行ってらしたんでしょう?
いいや、どこにも行ってませんよ。
「松島が、先生をフィレンツェでお見かけしたといってましたけど」
私は笑った。
イヌは、通町につれて行った。百合子の旅行中、私が東京に出かけたりすれば、エサもやれないので。