1756 〈1977年日記 3〉

1977年5月4日(土)

朝、「サンケイ」の原稿を書く。
ジョルジュ・シメノンが、12歳のときから、実に1万人の女性と関係したと語ったことに関して、作家とエロスの問題を考える。

シメノンが作家をめざして、作家になれたのは、1万人の女性と関係したからなのか。いいかえれば、1万人の女性と関係すれば、人は作家になれるだろうか。そんなことはあり得ない。シメノンは、12歳のときから、1万人の女性と関係したといいきれることこそ、彼が作家である証明なのだ。
シメノンと反対に、妻以外の女性をまったく知らない人が、すぐれた作家になった例を私は知っている。問題は、関係した女性の数とか量にあるのではない。

正午少し前、「サンケイ」佐藤さんに原稿をわたす。文化部は3階に移っていた。
12時15分、「日経」に行く。吉沢君の机を占領して、すぐに映画評を書きはじめた。私は各社の試写を見たあとすぐに吉沢君の机で映画評を書くことが多いのだが、私以外にこんなことをする作家はいないらしい。ほかの記者たちも、ときどき話しかけてくる。私は、新聞社の現場の雰囲気が好きなのだ。
私にはコラムニストとしての素質があるのかも知れない。こういう現場にいると短いコラムならいくらでも書けそうな気がする。
「華麗な関係」(ナタリ-・ドロン、シルヴィア・クリステル)、「ビリ-・ジョ-愛のかけ橋」(ロビ-・ベンソン、グリニス・オコナ-)、「合衆国最後の日」(バ-ト・ランカスタ-、リチャ-ド・ウイドマ-ク)について。
とりあえず吉沢君に原稿をわたして、「日経」のレストランに移る。いい気分だった。遅い食事をとりながら、「週刊小説」の原稿を。冷えたコ-ヒ-を飲みながら、アナイス・ニンの「デルタ・オヴ・ヴイ-ナス」の紹介を書く。
3時半、神田に出て、「南窓社」の岸村さんと会う。このところ話しあってきた「アメリカ作家論」の出版をきめる。刊行は、10月1日の予定。岸村さんも喜んでくれた。
せっかく神保町に出てきたのだから、本をあさった。「北沢」で、思いがけない掘り出しもの。長いあいだ書きたいと思ってきた評伝の資料。読んでみなければわからないが、この本を見つけた瞬間、猟師が獲物をしとめたような、手ごたえを感じた。へんな話だが、こういう直感めいたものを私は信じている。
私の原稿を入校した吉沢君が銀座に出るというので、私も同行する。吉沢君と本の話をしているところに、長谷川君(二見書房)、萩谷君(映画ファン)がきた。長谷川君にわたす原稿がない。申しわけないが締切りを延ばしてもらう。そこへ、「富士映画」の下川君がきた。7月封切りの映画、「遠すぎた橋」の宣伝で吉沢君の協力をもとめる。各国のスタ-が十数人も出る大作とかで、製作費、90億。6月7日にジャ-ナリスト試写の予定。

吉沢君といっしょに「ガスホ-ル」に行く。スペイン映画、「ザ・チャイルド」の試写。
冒頭、第2次大戦中のユダヤ人虐殺、ビアフラ内戦、ヴェトナム戦争、バングラデシュなどで子どもたちが飢えや病気で死んだり、瀕死の状態に苦しむカットがつづく。おやおや、戦争や破壊、飢餓で犠牲になるのはいつも子どもたちという主題で、そういう「現実」を描いた映画なのかと思ったが、まるで違っていた。
若いイギリス人夫妻(妻は妊娠している)がスペイン観光旅行で、アルマンソ-レ島を訪れる。ところが、この島には大人が一人もいない。子どもたちは町の住民を殺し、観光客たちを殺した。夫妻は、自分たちが子どもたちに狙われていることに気がつく。……
原題は Who Can Kill A Child で、これは逆説的。この映画が何を寓意しているか、少しわかりにくい。気をつけて見れば、スペインがつい昨日まで体験してきたフランコ体制を意識しているようにも見える。かなり興味深い映画で、「熱愛」につづくスペイン映画として記憶しておきたい。

 

 

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