秋晴れ。ふと、昨年の出来事が胸をかすめる。
私の家にはネコのひたいほどの庭がある。
そんな庭にしては、いささか場違いな大きさの菩提樹が一本植えてあった。
イタリアからひろってきた小さなタネを、帰国後に、ちいさな鉢に植えたところ、思いがけず小さな芽を出した。少し大きくなったところで、庭に植え直した。
やがて、この木はわが家の庭に威容をほこる大きさになった。そのまま伸ばせば、かなり高くなったにちがいない。しかし、都会のまんなかで、数十メートルの高さの樹木にすることができるはずもない。毎年、植木職人にきてもらって上に伸びる枝をおさえた。
ヴィラ・ボルゲ-ゼからひろってきたので、この樹を見ていると、イタリアの思い出に重なって、いろいろなことを考えたものだった。
数年前、この木に大きなサルノコシカケが生えてきた。別に不思議なことではない。
やがて、幅が15センチほど、長さが25センチほどの、堂々たるキノコになったが、木の幹におおきなクロワッサンがしがみついているようだった。
何年にもわたってそのまま放置しておいたのだが、サルノコシカケができた頃から、菩提樹の幹の内部に少しずつ空洞ができてきたらしい。この木は風雨にさらされつづけた。やがて幹の樹皮がすこしづつ破れ、老いぼれた姿をさらしはじめた。
さらに数年たって、手でふれるだけで、樹皮が幹からはがれるようになった。
やがて、われとわが身をささえきれなくなって、いつ倒れるかわからない状態になった。
「旦那、これは切ったほうがいいよ」
植木職人のオジサンがいった。
ある日、日曜日だったが、朝から植木屋が入った。1本の菩提樹を切り倒す作業だが、軽トラックではなく、起重機を乗せた2トン・トラックで、職人が4人がかりで作業にかかった。
まず、大きくひろがった枝を切り落とし、太い幹をいくつかに分けて切ってから、最後に根元から斜めに切った。わずか1本の木なのに、作業は夕方までかかった。
空がきゅうにひろくなったようだった。
いままでそこにあったものが、きゅうになくなった。
かつての日々、活気にみちあふれていた。毎年、あたらしい芽が根元からわかわかしい枝をまっすぐ伸ばしてきた。切っても切っても出てくるのだった。ところが、その樹木が、まるではじめからそこにはなかったかのように消えてしまった。
そこにあるべきものが、なくなってしまったのが、自分でも納得できないようだった。
切り株を見ているだけで、私にとってのイタリアが永遠にカラッポなものになってしまったような、喪失感のようなものをおぼえた。
こんな些細な出来事のあと、私は何も書く気がなくなった。自分でも思いがけないことで、このブログを書くのを一時やめたのだった。