「戦前」のダニエル・ダリューは、「うたかたの恋」で絶大な人気を得た。ところが、この絶頂期に、離婚というスキャンダルのなかで、突然、引退を表明する。
ナチス・ドイツのパリ占領で、戦時中に、マルセル・シャンタル、ギャビー・モルレイなど、ダニエル・ダリューの先輩にあたるスターたちが感傷的な「母性愛もの」、家庭悲劇で活躍したが、ダリューのような美貌の女優がエクラン(銀幕)に登場する可能性がなくなった。賢明なダリューは、こうした時代の変化を見てとったのかも知れない。
マルセルやギャビーたちは、戦後のはげしい「変化」に適応できず、エクラン(銀幕)から去ってゆく。
その間隙を見届けたように、ダニエル・ダリューは、離婚したアンリ・ドコワン監督の「毒薬事件」(日本未公開)で復活する。この映画は、ルイ14世時代の有名な毒殺魔、ヴォワザン夫人の犯罪をあつかっている。私は、おなじルイ14世の時代に、やはり有名な毒殺魔だったブランヴィリエ侯爵夫人の評伝を書いたことがあるので、ずっと後年になってからビデオで見た。この映画でダニエル・ダリューは、妖艶なヴィヴィアンヌ・ロマンスと共演しているが、ダリューの美貌は「うたかたの恋」よりもさらに輝きをましているようだった。
「戦前」のフランスの映画女優としては、エドウィージュ・フィエール、アナベラ、ヴィヴィアンヌ・ロマンス、ミレイユ・バラン、マリア・カザレス、シモーヌ・シモン、コリンヌ・リュシェールなど、すばらしい女優が輩出している。それぞれが個性的で、美しい女優たちだった。
しかし、たおやかな魅力からいえば、ダニエル・ダリューに比肩するほどの女優はいない。ハリウッド女優、グレタ・ガルボは際だって美貌だったが、ダニエル・ダリューはガルボのように冷たい、高貴な美貌ではなく、もっと洗練されたパリジェンヌといった感じがあった。後年のダリューがシャンソンに進出した時の人気も、ブルジョアから庶民までダリューの歌に惹かれたからではなかったか。
ダニエル・ダリューにつづく世代のスターたち、オデット・ジョワイユ、シモーヌ・シニョレ、フランソワーズ・アルヌール、ダニー・ロバン、ブリジット・バルドー、ミレイヌ・ドモンジョやジェーン・フォンダなど、それぞれフランスを代表する映画女優といっていいが、やはり、「戦前」から「戦後」にかけてダニエル・ダリューに比肩できるところまでは誰ひとり到達していないだろう。
たとえば、ダニー・ロバンは、いかにも「戦後」のパリジェンヌといった感じの青春スターだった。彼女の映画の主題歌は、いつもヒロインのダニーの印象と切り離せないものだった。「フルフル」では、ダニー・ロバン自身がテーマを歌っている。「巴里野郎」(55)では、カトリーヌ・ソバージュの「パリ・カナイユ」がヒットしている。
「アンリエットの巴里祭」で、ダニー・ロバンがヴデット(人気女優)になった頃から、ダニエル・ダリューは、「赤と黒」、「輪舞」、「チャタレイ夫人の恋人」など、ハリウッドにも進出した。
ハリウッドに進出したフランスの女優としては、クローデット・コルベール、アナベラ、そしてジャンヌ・モローなどを思い出す。クローデットは、モーリス・シュヴァリエ、シャルル・ボワイエとともに「戦前」のハリウッド黄金期の大スターだが、ダニエル・ダリューは、クローデットほどの成功をおさめたわけではない。アナベラにいたっては、フランスの女優というより、まるっきりアメリカ人の女性に変貌していた。
しかし、ダニエル・ダリューは、おのれの身を処することにおいて、アナベラ、ジーナ・ロロブリジーダなどよりはるかに賢明だったといえるだろう。
ことばで女優の美しさを説明しようとするのは、愚かしい企てにすぎない。老齢に達してからのダニエル・ダリューの出演作についてほとんど知らない。だから、女優としてのダニエル・ダリューを論じることができないのだが、「戦前」から「戦後」にかけて、初期の「不良青年」から晩年に近い「シシリアン」(だったか)まで、他の追随をゆるさない女優として生きたダリューが、百歳まで生きたことに深い感動をおぼえる。
女優という生きかたは、かなしいものだと思う。
私はフランス映画のファンにすぎないが、遠くはるかなジョゼット・アンドリオから、現在のイザベル・ユッペール、オドレイ・トトゥ、イザベル・アジャーニまで見てきた。
しかし、ほとんどの女優は、つきつめていえば、一途(いちず)に女優、またはスターだったにすぎない。
こういういいかたでは、何もいったことにならないのを承知でいえば、ダニエル・ダリューが、終生みせていた、あの美貌と、そのマスク(顔)の美しさにもかかわらず、あのたおやかでのびやかな美しさを、はたして誰が出していたか。たとえば、ガルボにしても、わずかに「クリスティナ女王」の数カットで、見せているだけといっていい。
だが、ダリューの訃報に接して、ことさら悲愴がってみせる必要はない。
もう一つ、あえて書きとめておこう。それは――百歳まで生きたことが、ダリュー以外の誰にもあり得なかった宿命だったと私は考える。サイレント映画の最後の生き残りだったリリアン・ギッシュの死も私を感動させたが、ダリューの死も、この世のものならぬ美として私の胸に感動を喚び起したのだった。
(イラストレーション 小沢ショウジ)