2018年1月。
久しぶりにブログを再開したが――とりあえず、書きたいことを書くことにしよう。
まず、ダニエル・ダリューの追悼から。
ダニエル・ダリューさん 100歳(仏女優) AFP通信によると、10月
17日に仏北部ボワルロワの自宅で死去。1917年、仏南西部ボルドー生まれ。
14歳で映画デビューし、「うたかたの恋」(36年)などで人気女優の地位を築いた。米国でも活躍し、「赤と黒」(54年)や「ロシュフォールの恋人たち」(67年)などの話題作に次々に出演した。晩年まで女優を続け、出演作は100本を越える。
<読売> 2017.10.20.夕刊
ダニエルほどの女優の訃報なので、当然、誰かが追悼を書くだろうと思った。ところが、これは私の読み違えだったらしく、ダニエル追悼の記事はどこにも出なかった。
かつて比類ない美貌で知られたダニエルだったが、さすがに、百歳を越える天寿をまっとうした老女優を今の誰がおぼえているだろうか。今の60代以下の人々は追悼どころか、ダニエルの映画さえ見たことがないだろう。
戦前のフランス映画を代表する名女優を選べといわれたら、私の世代なら、まず、フランソワーズ・ロゼェ、アルレッティ、マリー・ベルあたりをあげるだろう。ロゼェは、まさに名女優のひとりで、現在でもDVDで「外人部隊」、「舞踏会の手帳」など、その演技を見ることができる。この2本に、やはり名女優のマリー・ベルが出ている。「コメディ・フランセーズ」出身だが、戦後、「マリー・ベル劇場」をひきいて、ラシーヌなどを演じた。非常な美貌だった。
アルレッティは「天井桟敷の人々」、「北ホテル」で知られている。戦後、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」に出て、イギリスのヴィヴィアン・リー、ブロードウェイのジェシカ・タンディを凌駕する名演技と称賛された。
私の想像だが――おそらく、ヴィヴィアンやジェシカを凌駕する演技だったに違いない。アルレッティのもっている娼婦性、そして天性のエロティスムは、ヴィヴィアンのもたないものだったし、ジェシカにも無理だろうと想像する。
こうした女優たちのなかで、とりわけ美貌をうたわれたのは、ダニエル・ダリューとミッシェル・モルガンだった。
ダニエルは、14歳で「ル・バル」に出た。当然ながら私は見ていない。はじめてダニエルを見たのは「不良青年」で、パリの裏町に住む若い娘。水兵のようなパンタロン、斜めにベレをかぶり、タバコをくわえて、まっすぐに目をむける。ひどく粋(シック)で、ぞくぞくするほどエロティックな香気が立ちこめていた。あまりの美貌に見とれて、映画の内容をおぼえていない。
20歳で、映画監督のアンリ・ドコワンと結婚。ドコワンの「暁に祈る」に出たダリューは、「娘役」(ジュヌ・プルミエール)としてのみずみずしさが、スクリーンにみなぎっていた。この時期のダニエルの代表作は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子と、男爵令嬢の悲恋を描いた「うたかたの恋」(36年)だった。貴族のなかでは身分の低い男爵令嬢は、はじめはただ可憐な少女として登場する。少女は何か気に入らないことがあると、口を尖らせてすねるようにしゃべる。ダリューはブルーの眸をした美少女だが、このあどけない魅力は他の女優のもたないものだった。ダリュー、天性のものだが、そこに女優としての「工夫」があった。
うまく説明がつかないのだが、世阿弥のことばを思い出す。「得たるところあれど、工夫なくてはかなはず。得て工夫をきわめたらんは、花に種を添へたらんがごとし」。
「うたかたの恋」は、戦後、ハリウッドでリメークされた。おなじアナトール・リトヴァクの演出で、ダニエルのやった「男爵令嬢」をオードリー・ヘップバーンが演じているが、おなじ監督の作品とは思えないほど平凡な映画になった。オードリーの作品でも、まったくの駄作だった。オードリーの演技も空回りするだけで、その「工夫」はダニエルに遠くおよばない。
「うたかたの恋」のダニエルの魅力、「得て工夫をきわめたらん」はそれほどにも大きいものだった。
(イラストレーション 小沢ショウジ)