1738

ブログ再開で、久しぶりに文章を書いてみて、なんとか書きつづけられそうな気がしてきた。とにかく書きつづけることはできるだろう。
私のブログは、かなりの部分を親しい友人たちとの友情に負っている。
とりとめのないブログながら、最近の、私のいろいろな経験にもとづく物語のささやかなエピソ-ドなのだ。
さて、そこで、またしても映画の閑談。

クリスマス。たまたまテレビをつけた。
映画をやっていた。ワン・カット見た瞬間に、ジョン・ヒューストンの「黄金」とわかった。映画もラストで、仲間を裏切って、ロバに黄金の砂嚢を積んで逃亡をはかったボガートが、原住民たちに殺される。その原住民たちは、市場でロバを売ろうとして、警察に突き出される。ボガートを追った仲間ふたり(ウォルター・ヒューストン、ティム・ホルト)は、自分たちが採取した砂金の砂嚢が、無知な原住民に破られて、金がすべて風に散ってしまったことを知らされる。これまでの苦労がすべて無に帰したのだ。
ウォルター・ヒューストンが、突然、腹をかかえて哄笑する。その笑いは何を意味しているのか。若いティム・ホルトには理解できない。ウォルタ-は笑い続ける。ラストは、砂嚢が風に吹かれて、みるみるうちに砂に埋まってゆく。
わずかなシ-ンを見ただけで、いろいろなことが押し寄せてくる。

俳優のホセ・ファーラーが、「黄金」のウォルター・ヒューストンについて、

もとより現在の俳優のなかで、もっとも偉大な名優のひとり……
彼を見るたびに、ほかのどんな名優よりも腹のそこにずっしり落ちる。

といっていたっけ。

「黄金」のラスト・シーンを見て、私はすぐに、スタンリー・キュブリックの「現金に体を張れ」のラスト・シーンを思い出した。競馬場の売上を強奪した犯人が、空港から逃げようとする。現金をつめたトランクが滑走路に落ちて、数万ドルの紙幣が風に吹かれて散乱する。
あの頃の映画のラスト・シーンには、いつも空虚な気分がみなぎっていたような気がする。あえていえば、「戦後」の空虚な気分の反映だったのかも知れない。

わずかなカットを見ただけで、つぎからつぎにいろいろと思い出す。それが、けっこうおもしろい。

 

image