ある日、新聞の俳句欄で、こんな句を見つけた。
妻逝きて寂しさにひとり耐ゆる夜 胸にしみ入るこほろぎの声
ひたちなか市 広田 三喜男
岡野 弘彦の選評も引用しておく。
選歌をしていると、こういう切実な思いに逢うことがある。実は私も六十年来の 妻をなくし、十日祭を終えたばかりである。晴れつづく海の夜ごとの波の音が胸に沁みる。
これもまた「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いを歌っているような気がする。
私がしばらく沈黙をつづけていたのも、「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いがあったと思う。
私は、この作者に共感したが、同時に、岡野 弘彦の感慨にも胸を打たれた。