さて、もう一度、私のことに話を戻す。
ブログを書かなくなって、ときどき俳句を読むことがあった。
たとえば……
仏壇の 飯も油も 凍りけり 花 女
内仏の 戸に 炉あかりや 宵の冬 はぎ女
こんな句も私の胸に響いた。
芭蕉の初七日を悼んで
待ちうけて 涙見あわす 時雨かな か や蕉翁二七日
花桶の 鳴る音かなし 夜半の霜 か な蕉翁三七日
像の画に ものいいかくる 寒さかな 智 月蕉翁四七日
冬の日や 老いもなかばの 隠れ笠 智 月六七日
跡の月 思へば凍る たたき鉦(かね) 智 月
智月は、大津の俳人、乙州の母。芭蕉の弟子。芭蕉の没後、義仲寺に詣でて供養をおこたらなかったという。宝永三年に亡くなった。享年、74歳。
「かや」、「かな」については、よく知らない。
こういう俳句を読む。いずれも「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いを歌っているような気がする。