1736

ブログ休載中、折りにふれて俳句めいたものが頭をかすめたので、書きとめておくことにした。もとより、「柳女」の足もとにも及ばない駄句ばかり。
それでも、私の心境はいくらか出ていると思うので、ここに書きとめておこう。お笑いぐさまでに。

白百合の ただ美しく 旅出かな

白百合の 香り残して 散りにけり

白百合と薔薇を 柩に投げ入れて

亡妻、納骨。

春やうつつ この世のほかの 花ごろも

過ぎ去りし 思い出ばかり 夏の花

堀内 成美からティ-を贈られて、

短か夜や 台湾「金魚」(チン・イ-)の味のよき

秋の夜や 身の衰えと ひとりごと

ワ-プロを消して 湯に入る 夜寒かな

花一輪 追懐はるか 九十翁

手につつむ リンゴを妻に供えけり

 

「先生のブログ更新を楽しみにしている一人」さんをふくめて、これまで私をささえてくれた人びと、少数だが、私の「現在」に期待してくれている人びとのために私はブログを再開する気になった。きみたちのおかげで、ブログを再開できることにあらためて感謝している。

 

 

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1735

 

ふと、蕪村が女弟子の「柳女」にあてた手紙を思い出した。この「柳女」さんは、京都、伏見の女流俳人。ある日、自作の俳句を蕪村に送った。

なつかしや 朧夜過ぎて 春一夜

蕪村はその返事にこの句に対する批評と添削を述べている。

朧夜過ぎて

今宵はわけておぼろなるは、春のなごりを惜しむゆゑかと御工案おもしろく候。
されどもこれにては朧夜の過ぎ去ることになりて、過不足の過にはならず候。

なつかしや 殊に朧の 春一夜

右のごとくにておだやかに聞え候。それを又更におもしろくせんとならば、

なつかしや 朧の中の 春の一夜

桃にさくらに遊びくらしたる春の日数のさだめなく、荏苒として過ぎ行く興像也
心は、朧々たる中にたった一夜の春がなごり惜しく居るやうなと、無形の物を取りて、形容をこしらへたる句格也。又右の案じ場より一転して、

春一夜 ゆかしき窓の 灯影哉

まだ寝もやらぬ窓中の灯光は、春の行衛を惜しむ二三友なるべし。これら秋を惜しむ句にてはあるべからず。

 

 

以下は、私の現代語訳。

朧夜過ぎて

(春の夜は朧夜にきまっているけれど今夜はとくにおぼろなのは、この句を詠んだひとが春のなごりを惜しんでいるせいではないか、と工夫したところがおもしろい。ただし、この句では、もう春の朧夜もこれでおしまいということになってしまうので、春の朧夜をぴたっと詠んだことにはならない。
春の夜はなぜか心もときめくものだが、とくにおぼろ夜の春の一夜となれば、わすれられないなつかしさがこみあげてくる。
こんなふうにすれば、春のおだやかな気分がひびいてくる。あるいはまた、もっと味わい深くしたかったら、おぼろ夜がつづく季節だけれど、今は記憶もおぼろながら、あの春の一夜のことが、なつかしくよみがえってくる、という一句はどうか。
春になって、桃が咲いた、桜が咲いた、と遊び暮らす日々がつづいて、いつしか春も過ぎようとしている。ただ、浮かれさわいで暮らした身には、何もかもおぼろめいていながら、たった一晩の春のできごとが、今にして名残惜しく思われる。描写ではなく、内面をさぐって俳句のかたちをつくったところが俳句の結構である。そしてまた、こういう工夫から、さらに視点を変えて、おぼろ夜を詠むのではなく、春の一夜、夜更けの時刻だが、部屋には寝具をととのえながら、まだ寝ないで、たけなわの春が終わろうとしているのを惜しんでいる。窓辺におぼろ夜ほのかな灯影が揺れて、その気配もなにやら奥ゆかしい。
こういう情景は春の季節なればこそ、蕭条たる秋を惜しむ俳句であってはならない。)

 

蕪村は、「柳女」の才能に大きな期待をもっていたらしく、手紙の末尾に、

三月尽の御句甚だおもしろく候故、却っていろいろと愚考を書付け御めにかけ申し候。近頃の御句と存ぜられ候。

と、激賞している。こういう手紙にも、蕪村の暖かい人柄とするどい批評性が読みとれる。「近頃の御句」は、最近の傑作と訳していいだろう。

蕪村は、「柳女」に返事をかきながら、中国の詩人を思い出している。

三月正当三十日   ケフハ三月ツゴモリジャ
風光別我苦吟身   春ガ我ヲステテ行クゾ ウラメシイコトジャ
勧君今夜不須睡   ソレデイヅレニモ申ス コンヤハ ネサシャルナ
未到暁鐘猶是春   明ケ六ツヲゴントツカヌ中(うち)ハヤッパリ春ジャゾ

蕪村の注釈がついているのだから、私が訳す必要はない。ただ、こんな詩を読むにつけても、三月にみまかった妻のことを思い出すのだった。そして、「春が私を捨てて行くぞ。うらめしいことじゃ」とつぶやく。

 

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1734

ある日、新聞の俳句欄で、こんな句を見つけた。

 

妻逝きて寂しさにひとり耐ゆる夜 胸にしみ入るこほろぎの声

ひたちなか市 広田 三喜男

 

岡野 弘彦の選評も引用しておく。

 

選歌をしていると、こういう切実な思いに逢うことがある。実は私も六十年来の 妻をなくし、十日祭を終えたばかりである。晴れつづく海の夜ごとの波の音が胸に沁みる。

 

これもまた「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いを歌っているような気がする。
私がしばらく沈黙をつづけていたのも、「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いがあったと思う。

私は、この作者に共感したが、同時に、岡野 弘彦の感慨にも胸を打たれた。

 

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1733

 

さて、もう一度、私のことに話を戻す。

ブログを書かなくなって、ときどき俳句を読むことがあった。
たとえば……

 

仏壇の 飯も油も 凍りけり      花 女

内仏の 戸に 炉あかりや 宵の冬   はぎ女

 

こんな句も私の胸に響いた。

 

芭蕉の初七日を悼んで
待ちうけて 涙見あわす 時雨かな   か や

蕉翁二七日
花桶の 鳴る音かなし 夜半の霜    か な

蕉翁三七日
像の画に ものいいかくる 寒さかな  智 月

蕉翁四七日
冬の日や 老いもなかばの 隠れ笠   智 月

六七日
跡の月 思へば凍る たたき鉦(かね) 智 月

 

智月は、大津の俳人、乙州の母。芭蕉の弟子。芭蕉の没後、義仲寺に詣でて供養をおこたらなかったという。宝永三年に亡くなった。享年、74歳。

「かや」、「かな」については、よく知らない。
こういう俳句を読む。いずれも「さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても」という思いを歌っているような気がする。

 

 

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