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亡き妻の思い出をふり払うために音楽を聞いたわけではなかった。音楽を聞く。その時間だけ、何も考えないですむ。音楽を聞いているだけで、私のまわりをとり囲んでいる何かが崩れ、目に見えない薄い膜が破れてしまうようだった。私の内面に、何か少しづつ変化が起きている。

ある日、ゲオルグ・ショルティを聞いた。
ショルティなら、ハーリー・ヤーノシュや、ベートーヴェンを聞いたほうがよかったような気がする。しかし、シンフォニーを聞く気分ではなかった。しばらくのあいだ、いろいろな「レクィエム」ばかり聞いていたこともある。
だから、ショルティを聞いたというより、モ-ツァルト(アーリーン・オージェ)、ブラームス(キリ・テ・カナワ)、ヴェルディ(ジョーン・サザーランド)などを聞いていた。それも「レクィエム」を選んで聞いていた。
「レクィエム」以外でもよかった。ただ、ぼんやり聞いているだけなので、曲はなんでもよかったが、やがて「レクィエム」にもあきてきた。

そんな状態で、やがて亡妻の納骨をすませた。一句を添えて。

春やうつつ この世のほかの 花ごろも

 

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