じつをいうと、友人、澁澤 龍彦が亡くなったとき、私は今と似た状況に陥ったことがある。
三島 由紀夫が亡くなったとき、批評家の磯田 光一が、沈痛な思いをこめて休筆を宣言したが、私は、友人、澁澤 龍彦が亡くなったとき、ひそかに休筆した。
澁澤君とそれほど親しかったわけでもない私が、半年間、何も書かなかったのは笑止千万だろう。
当時の私の内面に澁澤 龍彦追悼の思いがあったのはたしかだが、もう少し違う思いもあって、私が何を書いてももはや澁澤 龍彦の眼にふれることがないという失望というか落胆があった。これも身勝手な気分のせいだったが、どうしようもないむなしさが私の内面にあったため何かを書こうという意志が衰えたのだった。
亡妻が他界したあと、私は何をしていたのか。
ただ、毎日のように映画を見ていた。
昔見た映画のDVDを見ることが多かったのだが、たまたま8月にジャンヌ・モロー、10月にダニエル・ダリューが亡くなったので、彼女たちの映画を見た。ジャンヌやダニエルを見るためというよりも、彼女の映画を見ていた頃の自分を思い出すために。
かつて比類ない美貌で知られたダニエルだったが、私の知るかぎりダニエル追悼の文章を見なかった。それも当然で、百歳を越える天寿をまっとうしたダニエルを、今の誰がおぼえているだろうか。私は、この女優たちの映画を見ながら、かつてのフランス映画の輝きを思いうかべて、ひそかな慰めとしたのだった。そんな時期の私は、何かを見ればいつも何かを思い出していた。映画を見ながら、いつも亡妻といっしょにジャンヌやダニエルの映画を見たことを思い出していた。そして、そのことさえも忘れようとして、映画を見つづけていた。
映画を見るほかに、ひたすら音楽を聞いていた。これまた手元にあるCDを聞くだけのことで、一度聞いただけで忘れてしまったオペラを聞き直したり。手あたり次第に、そんなCDばかり聞きつづけていた。何かを思い出すことと、何かを忘れようとすることが重なって、それこそ憑かれたように古い映画を見たり、たくさんのオペラを聞いていた。
たまたまお悔やみの手紙をくれた知人が、オペラのヴィルチュオーゾだったことがきっかけで、手近にあった「歌に生き、恋に生き」を聞いた。モンセラート・カバリエ。亡妻の思い出には何の関係もないのに、ひどく心を動かされた。それからしばらく、いろいろな人の「歌に生き、恋に生き」を聞いた。
手当たり次第なので、むちゃくちゃな選曲になる。だいいち、私のもっているCDはごくわずかなので限りがある。
選曲もむちゃくちゃで、とにかく音が流れていれば癒されるというか、しばらくは気が休まるようだった。
たとえば、マルセル・デュプレを聞く。そして、オリヴィエ・メシャンを聞く。そのパイプ・オルガンを聞きながら、俳優のルイ・ジュヴェの葬儀がおこなわれたサン・シュルピスの教会に鳴り響いた演奏もかくや、と想像する。
そんな日々がつづいた。
たしか「二期会」のソプラノだったと記憶するのだが、スミエ・コバの「ソプラノ」も楽しく聞いた。スペインのファリアから、フランスのフォーレ、デュパルク、ドビュッシー、イギリスのパーセル、イタリアのロッシーニまで、わかりやすい曲ばかり選んでいるので、ただ聞いているだけで癒されるような気がした。
そんなある日、ヨッヘン・コワルスキの「奥様、お手をどうぞ」を聞いた。カウンター・テナーや、ドイツの古い流行歌や、ウィンナ・ワルツなどを聞き直して癒されるなんて、われながら意外だったが、ひとしきりそんなものばかり聞いていた。
そして、2018年。松がとれた日に、フランス・ギャルの訃を知った。
フランス・ギャル 7日に逝去。70歳。1947年、パリに生まれた。音楽家
の家庭に育ち、10代でデビュ-。日本でも「夢見るシャンソン人形」などがヒ
ットして、世界的なアイドル歌手として知られた。晩年はガンで療養生活を送っ
ていた。
彼女のCDをもっていないので、コンピレーションの中にはいっているシャンソンを聞いた。ついでに、フランソワーズ・アルデイ、シルヴィー・ヴァルタンを聞く。
もはや誰も知らないシャントゥ-ズの声を聞いて、在りし日の彼女たちを偲ぶ。回顧趣味に違いない。ただし、私にいわせればダニエル・ダリューも、フランス・ギャルも、私が人生ですれ違ったアルティストのひとりなのだ。
私の人生から、またひとりアルティストが消えて行く。私が、その人たちのCDを聞いたり、ビデオやDVDを見直すのも、その人たちに会えたことのありがたさを思うからにほかならない。