戦後すぐの昭和20年(1945年)から21年冬にかけて、日本の山村を訪れたアメリカ人ジャーナリストがいた。敗戦直後、日本の国内情勢が混乱をきわめていた時期で、あるジャーナリストが来日したことなど、誰の記憶にも残っていないだろう。
このジャーナリストは、東京を中心に、関東、中部を熱心に歩きまわったらしい。
栃木、那須の、ある村を訪れたとき、たまたま雪が降ってきた。淡雪だったらしく、すぐに溶けてしまった。
彼が出発するときに、宿の主人が宿帳か何かを出して、記念に署名をもとめた。
そのアメリカ人はこころよく応じて、「それでは日本の歌を書きましょう」といって、二行詩らしいものを書きつけた。むろん、英語である。
The Snow Came To The Garden
But Not For Long
このアメリカ人は、自作に自分の名前を詠み込んでいる。ずいぶん粋な話ではないか。
作者はエドガー・スノウ。
スノウは日本の誰かの句を思い出して書いたのだろうか。では、誰の? これまた見当もつかない。
スノウ自身は、訪日前に俳句の本に眼を通していたに違いない。
(無謀を承知で)あえて意訳すれば、
淡雪の庭に降りては消えにけり
いまし降る雪はつづかぬ庭にして
降りながら庭に小雪のとどまらず
いい訳ではない。どうしても理が勝ちすぎる。なによりも、名前を詠み込んでいる酒脱な趣向が出せない。
スノウは日本を去った直後、半年にわたってソヴィエトに滞在して、ルポルタージュを書いた。これは「サタデイ・イヴニング・ポスト」に発表されたが、敗戦直後の私たちが読む可能性は絶無だったはずである。まして18歳の私が知るはずもなかった。
スノウは、このルポルタージュを書いたために、アメリカでは左翼として攻撃されたが、皮肉なことに、当時のソヴィエトは、スノウを悪質な反共主義者として入国を禁止している。
私は左翼ではないので、スノウの著作をほとんど知らない。しかし、敗戦直後に日本の田舎の宿屋に泊まって、わざわざ俳句を詠んだスノウに親しみをおぼえる。
この句に、敗戦にうちひしがれている日本人を思いやる気もちが含まれているような気がする。深読みだが。スノウは、ジャーナリストとして日本の運命を見きわめようとしていたのかも知れない。
(私の歳時記・11)