ある日、渋澤 龍彦が、たまたま買ったばかりのフランス語の本を見せてくれた。そのことを、私が座談会でしゃべっている。
中田 いつかご自分の買った本を見せてくれた。ぼくなんか読めない本だけど、渋沢
さん、それはそれはうれしそうなの。中世の秘蹟か何かの研究書だったけど、そ
の本を手にしてることがもううれしくってたまらないの。ぼくまで、うれしくな
ってくるようで、ああいう渋沢さんはすばらしいなあ。
高橋(たか子) 子供が自分のもっているオモチャを、友達に喜んで見せるように、ニ
コニコしてお見せになりますね。
中田 お人柄というより、何か純潔なんだなあ。ぼくが(渋沢邸の)壁にかけてある
絵を見ていると、それがうれしいみたい。ぼくは好奇心がつよいので、無遠慮に
ジロジロ見るんだけど、渋沢さんはそういう無遠慮が恥ずかしくなるほど、やさ
しいんだ。
種村(季弘) 垣根を作ってここからこっちに寄せつけないということは、全然しませ
んね。
この座談会は、高橋 たか子、種村 季弘、四谷 シモンのお三方、私が司会役だった。(別冊新評『渋澤龍彦の世界』昭和48年10月刊)
渋沢邸で私の見た絵は、葛飾 北斎。大きな女陰から男が外に出ている有名な一枚。
人生にはさまざまな偶然がある。澁澤 龍彦と出会えたことは、ほんとうにありがたいことだった。彼の慫慂がなかったら、私の仕事のいくつかは書かれないままで終わったはずである。
鎌倉の澁澤さんの墓のすぐ近くに磯田 光一の墓がある。
私は、澁澤さんの墓に詣でたときは、かならず磯田君の墓前に詣でることにしていた。
年々に 思いおこすや 初しぐれ
(私の歳時記・5)