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3月のある日、田栗 美奈子から電話があった。このブログ、アクセス数がついに十万の大台を突破したことを知らせてくれたのだった。自分でも信じられないアクセス数であった。

もうすでに書いたことだが、私のブログ、「中田 耕治ドットコム」は、偶然にはじまったのだった。
私にブログを書くことをすすめてくれたのは、田栗 美奈子、吉永 珠子のおふたりで、何も知らない私のためにいろいろと準備してくれたのだった。一方で側面から私を助けてくれたのは、真喜志 順子だった。この三人のお力添えに、あらためて感謝している。
これほど長い期間にわたって、ブログを書きつづけるとは考えもしなかったが、そのときそのときに私の内面にあったテ-マを書きとめておくことは、けっこうたのしい作業になった。

ブログを書きはじめた時期の私は、今ほど老いぼれてはいなかった。アクセス数など、考えもしなかった。ただ、私のブログは、一日きざみで自分の老いを見つめてゆくものになったはずである。
もう数年前だが、友人の人形作家、浜 いさをが、私のブログを読んでくれたが、
「地味だなあ!」
といった。
むろん、軽蔑のことばではなく、私のブログの貧しさに心から驚いたようだった。

私自身が内向的で地味な性格なのだから、ブログが地味でも仕方がない。おのれの鬱屈した思いを文章にしたつもりもなかった。あるいは、自分の日々の感情を克明に記録すれば、アナイス・ニンの「日記」のような日記になったかも知れないが、はじめからそんな意図はなかった。
ただ、未知の誰かが私のブログを読んでくれるかも知れない。そんな期待はあった。
個人的に面識はなくても、私と似たような文学的な好みをもっている人たち、あるいは、個人的に私と親しい友人たちにあてた近況報告のようなものを発信するだけでよかった。
だから、ときどき、私の知らない不特定多数の読者がこのブログを読んでいてくれると知って驚いたり、喜んだりしたものだった。

「中田耕治ドットコム」には、自分の心をかすめるものごとについて、書きつづけた。
今にして思えば――田栗 美奈子と、吉永 珠子のおふたりが私の目をブログというあたらしい世界に向けてくれたのは、当時の私が何も書かなくなることを心配してのことではなかったか。
私は、おふたりの好意をありがたく思っている。
ブログのアクセス数が10万に達しようとしている。それをわがことのように喜んで、声をはずませて知らせてくれた田栗 美奈子と、吉永 珠子に感謝している。

 

 

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