17年の小さな歴史が終わった。
2016年3月19日午後、最終の「カシオペイヤ」が、上野駅から札幌に向かった。上りは、20日午後に札幌を出発して、上野着は翌日の午前。これで運行を終えた。
こんな短歌があった。(読みやすいかたちで引用する。)
あかつきのプラットフォームに 湯気たてて売り歩く茶を 呼びとめて買ふ
電灯のいまだともれる朝あけの 駅に下りたち 新聞を買ひぬ
朝の食堂車の明るきなかに たちのぼる味噌汁のにほひ なつかしきかな
作者は、大島 武雄。この歌人については何も知らない。
この短歌を読むだけで――昔の駅の光景や、朝の大気に蒸気を白く吐きながら停車している機関車や、新聞売り場(つまりキオスク)にいそぐ乗客たちの姿が眼にうかぶ。
昔の鉄道には、乗客の手荷物、トランクなどを運ぶ「赤帽」という職種があった。さしづめポーターというところだろう。赤いキャップ(帽子)をかぶっていた。荷物の運搬だけが仕事ではなく、「エキベン」(ご当地のお弁当)や、お茶を売っていた。わずかな停車時間に、プラットフォームを走りまわって、客の注文に応じて、お弁当や、お茶、ときには、その土地の名産やみやげ物、新聞、週刊誌などを売り歩く。片手に小銭を握って、客が紙幣を出しても、すぐにおつりをわたす。
どこの駅にも、お弁当や、安物の陶器入りの熱いお茶を売りさばき、いよいよ発車時間になって列車が走り出しても、プラットフォームを駆けずりまわって、まだ車窓から頭を出している客に、品物をわたして対価をうけとる、客あつかいのうまい「赤帽」がいたものだった。
幼い頃の上野駅の印象がぼんやり残っている。
発車間際の終列車に乗り遅れまいとする乗客が走り出す。
「仙台行き……浦和、大宮、宇都宮、白河、福島、仙台行き……」
ガランとした構内、長いプラットフォームの端から端まで、駅員が声高に叫びながら通って行く。
幼い子どもにはわかるはずもなかったが、昭和初期、アメリカの大不況の影響をモロに受けて、日本全体に不景気風が吹いていた。乗客は数えるばかり。
向こうの隅にポツンとひとり。
こちらに、若い女の子をつれた中年の男が一組。
日を二日 乗りとほしたる汽車のつかれ 身ぬちにふかくありて ねむれず
作者は、原 常雄。「覇王樹」の歌人らしい。
昔の鉄道の旅はたいへんだった。上野=仙台、377キロの距離が12時間もかかったことを思い出す。
上野と札幌間を往復した寝台特急、「カシオペイヤ」。下りの所要時間は、約19時間。札幌からは、たしか17時間程度。
「カシオペイヤ」以前の特急、「はくつる」や「あけぼの」は知っている。ただし、「北斗星」(寝台特急)は、ついに乗らずじまいだった。
今年の3月。北海道新幹線が開通した。東京=札幌、1168キロをわずか4時間で走るという。