ピカいち。ここから、別の連想が繋がってくる。
ピカいちのつぎは、何がくるのか。
例えば、双葉山、安芸ノ海。琴奨菊、稀勢ノ里。両横綱、両大関。
三は――三傑。三幅対。たとえば、白鳳、鶴龍、日馬富士。
勝 海舟、山岡 鉄舟、高橋 泥舟。
三の例なら、いろいろと出てくる。
たとえば、団菊左。ただし、いまの団十郎、菊五郎、左団次ではない。戦前の団十郎、菊五郎、左団次。
歌舞伎役者の連想で、三姫を思い出す。時姫。雪姫。八重垣姫。
政岡。重の井。篠原。いずれも、乳人(めのと)だが、「重の井」が、またまた別の連想を喚0び起こす。
恋十。苅萱。鳴八。いうまでもなく、三の子別れ。三人吉三をあげてもいい。
四は、何だろう?
すぐには思いうかばない。四君子、四天王か。
ルイ・ジュヴェ、シャルル・デュラン、ジョルジュ・ピトエフ、ガストン・バテイの「カルテル」。
五は、もっとむずかしい。五人男。
六。これはさしづめ六歌仙か。
私たちは、すぐれた人物やものごとを簡単な素数に併置して、心にきざむ習性があるらしい。さまざまな分野でとくに傑出した人物、重要なできごとを、ただちに重ねあわせ、、その分野を知りつくした人をも納得させる比較、秤量のクライテリオンにする。そんなよろこびが、こうした分類にひそんでいるのかも。
そのくせ、私は、いろいろな分野でのベスト・テンといった比較、秤量やランクづけがあまり得意ではない。たとえば映画の年間ベスト・テンといったアンケートに答えるさえ、いつも苦痛だった。たとえば、アラン・レネやゴダールの作品をベスト・テンにあげるよりも、ウォン・カーウァイやイム・グォンテクの作品をあげるだろう。
私のあげるベスト・テンは、いつもほかの人とかけ離れたものになるのだった。