1677

プーシキンは、ロシア語の創始者といわれている。彼の作品は今でもロシア人に愛されているだろう。
私はロシア語が読めないのだが、プーシキンのロシア語と、現代ロシア語は、それほど大きな違いはないと聞いている。だからこそ、ロシア人たちは、つい昨日書かれた作品として、プーシキンを読んで、心を動かされるのではないか。

しばらく前まで、フランスの子どもたちは、小学校に入ると、ラ・フォンテーヌなどを暗記させられると聞いた。フランス語のうつくしさを身につけさせることが目的という。
古典としてのフランス語は、現代フランス語の基幹と、さして変化していないためだろう。

数年前のことだが、現在の中国で、雲南省の幼稚園で使われている唐宋詩人のアンソロジーを見たことがある。イラスト付きだったが、唐詩選などから選ばれた名詩が、ぎっしりと並んでいた。私は心から驚いた。中国の子どもたちは、ものごころつくと、こんな詩を読んでいる!

ひるがえって、私自身はどうだろう。
大作家といわれる井原 西鶴さえ、まともに読みこなせない。
うっかりすると、幸田 露伴さえも読めなくなっている。

 

 

1676

「好色一代女」を読みはじめて、なんとか「町人腰元」までたどりついたが、途中で降参した。
あらためて、俳句から勉強し直そう。

こと問はん 阿蘭陀(オランダ)広き 都鳥
六町一里に つもる白雪
袖紙羽 松の下道 時雨きく

これが、「三鏡輪」表八句の冒頭である。
まさしく「阿蘭陀(オランダ)流」がひろまっている時代に、敢然として立ちむかってゆく気概がみなぎっている。それはいいのだが、どうも内容がよくわからない。

厚鬢(あつびん)の 角(すみ)を互いに 抜きあひし
浅草しのぶ おとこ傾城(けいせい)

こんな句を見つけると、まるで映画のワン・シーンを見るような気がする。

みなみな死ては 五百羅漢に
夜かたりの ゆめが残して 安楽寺

さながら「好色一代女」のエンディング、ラスト・シーンのごとし。

それにしても、俳句もろくに読めない自分の無学を恥じるばかり。

 

 

1675

というわけで、無謀にも、西鶴の「好色一代女」を読みはじめた。むずかしいのなんの。はじめから仰天した。冒頭の「老女隠家」の「目録」(内容の紹介)は、

都に是(これ)沙汰の女たづねて むかし物がたりをきけば 一代のいたづらさりとは うき世のしやれもの 今もまだうつくしき

「大矢数」の跋に「自由」ということばを見つけて驚いたが、「好色一代女」の「舞曲遊興」にも、

清水(きよみず)の はつ桜に見し 幕のうちは 一ふしのやさしき娘 いか成(なる)人の ゆかりそ(ぞ) 親は ~・
あれをしらずや 祇園町のそれ 今でも自由になるもの

 とあって、しばらくはこの時代の自由の観念について考えさせられた。しかし、小説としての「好色一代女」を読みこなすことは、私にはとうてい無理であった。
美女は命を断(たつ)斧と古人もいへり。この古人が誰なのか、見当もつかない。
ようするに、愛欲の道におぼれれば、寿命をちじめる。女の色香に心をみだすのは、美しい花が散ってしまった木が薪になるようなもの。ところが、女の色香に迷って、いのちをちじめるのは愚の骨頂。
いつだったか、京都の西嵯峨に行ったことがあったが、梅津川をわたった。たまたま、いかにもファッショナブルなスタイルのイケメンが、恋にやつれきって、これから先も思いやられる様子で、自分は実家の跡もつげない、と親に連絡をとったという。どうやら、色欲におぼれすぎて、やつれ果て、若死しそうなかっこうをしていた。
自分、、育ちもよくて何ひとつ不足のない暮らしをしてきたけれど、あれやこれやと色に狂って、とうとうインポテンツになってしまった。それでもまだまだ、この川の水のように、エジャキュレートしたい、という。

これを聞いた友だちは驚いて、オレは女のいない国に行って、のんびり暮らしたい、といった。

片方は、今にも死にそうなのに、女のことが思いきれない。ところが、もう一方は、女にはあきあきしたから、女のいない国に行って、せめて長生きしたい。そして、この世の移り代わりを眺めていたい。

原文で、わずかに10行。これだけのことを理解するさえ、ひどく時間がかかった。やっとこれだけ読んで思わず笑ってしまった。自分の無学をふくめて。

すごいね。「女のなき国もがな、其所に行て閑居を極め惜き身をなからへ、移り替れる世のさまざまを見る事」という。

女のいない国に行って、せめて長生きしたいなどとは思わない。
だから、こんなつまらないブログを書いている。(笑)