【6】
日本でも、ガルボの人気は絶大だった。
つめたい情熱の持ち主、グレタ・ガルボのキッス・シーンも最近での第一人者として知られている、殊に、ジョン・ギルバートとのよきコンビネーションによる幾つかの例は、いき苦しき迄に悩ましく感じられた事で、「肉体と悪魔」の、暖炉の前のソファでの、ガルボ自らがおほひかぶさっての接吻、ギルバートは軍服の胸の上のボタンを息づまるまま皆外している。そのシーンは、少し先の庭園のそれと共に当時映画史上空前のものと、映画人間に折り紙をつけられ、評判されたが、前に掛かった時は勿論鋏が入っていた。「戀多き女」「アンナ・カレニナ」等とにかく二人の交わす口づけはガルボ・ギルバーチングと云ふ新語の流行へ生んだ程若人達に噂されたのである。(小倉浩一郎/1931年)
戦前の日本の検閲が、どんなに低劣、悪質なものだったか、これだけでも想像できるだろう。
それはさておき。
ガルボの映画、「接吻」の公開されたとき、映画館がいっせいに宣伝したことがある。ガルボのキスの「その紅唇の型をコッピーにとって、その下に余白をあけ、貴女とガルボ嬢とどちらが美しい形だか試みて下さい」。
そして、ガルボの接吻の唇の型に、いちばん近い唇の女性、先着15名に「接吻」の招待券を進呈する、という宣伝だったらしい。
恋人たちが、お互いの眼を見つめあう。彼女が、意味ありげに見つめるとき、相手をドギマギさせたり、怯えさせたりすることはない。お互いに惹かれあうときの強烈な感情、欲情がはたらいて、瞳孔が開く。無意識のうちに、彼女が感じている愛のはげしさが、そのたまゆらの極みにあらわれる。
小倉浩一郎のことばを借りれば、「所謂眼が物を云ふと云ふ奴で、ラブ・シーンになると冷たい、冷たい、その冷たさの裡にジーッと熱して来るガルボの瞳」ということになる。
こんなことから、1930年の日本のモボ・モガ風俗が想像できるかも知れない。
グレタ・ガルボとジョン・ギルバートのキスから、当時のモボ・モガたちがうけとったつよいメッセージがある。それは、恋愛関係にある男女の感情のはげしさが、キスという行為にともなっていること。キスがふたりのあいだの絆の強さをしめす社会的なクライテリオンとして意識されるようになったと私は考える。(日本人がキスという行為を知らなかったなどというのではない。)