1662

【4】

ガルボをハリウッドにつれて行ったのは、モーリッツ・スティルレル(映画監督)だった。
ほとんどの映画史は、ガルボとモーリッツ・スティルレルの関係は「スヴェンガリ」と「トリルビー」のようなものだったとする。私も、そんなふうに見ているのだが、これは、暗黙のうちに、ガルボとスティルレルに、性的な「関係」があったことを前提にしている。スティルレルとの最初の性体験の性質と内容が、その後のガルボの性生活を決定したと見る人は多かった。

ここで、ディートリヒを考える。
ディートリヒは、フォン・スタンバーグ監督との関係を、あなたは「スヴェンガリ」、わたしは「トリルビー」と語っている。(「ディートリヒ自伝」第一部3章)

フォン・スタンバーグのことば。

「マルレーネ・ディートリヒは、私の手中にあった。私は心に描いた理想像にあ
わせて、彼女を思うがままに作りあげた。」

つまり、ガルボとモーリッツ・スティルレル(映画監督)の関係よりも、マルレーネ・ディートリヒとフォン・スタンバーグのほうが、よほど「スヴェンガリ」と「トリルビー」に近いと見ていい。

ハリウッドに着いたばかりのスティルレルは語っている。

彼女の名はグレタ・ガルボ。彼女は最高の女優になるだろう。

と。この予言は的中した。驚くべき炯眼であった。

私は、ここで「ガルボ論」を書くわけではない。ただ――戦後に見た映画がその後の私に大きな作用をおよぼしたことが、いくぶんわかってもらえるのではないか、と思っている。