【2】
1925年、ガルボはドイツ映画、G・W・パプスト監督の「喜びなき街」(1925年)に出た。
この映画は、第一次大戦の「戦後」ドイツの、惨憺たる現実を描いたものだが、戦禍のなかで希望もなく彷徨する人々の群れのなかに、若い娘のガルボがあてどもなく歩みつづけていた。
じつは、敗戦直後にこの「喜びなき街」を見ている。自分でも信じられないことなのだが。
つまり、「戦後」私がはじめて見た外国映画が、ガルボの映画だった。
戦争が終わった直後に、日本じゅうに大混乱が起きた。日本人は、敗戦という運命にどうやって耐えていたのだろう。誰もが、明日どうやって過ごすのかわからない。軍需工場の生産がいっせいにとまった。毎朝、ギュウギュウ詰めの電車に乗って、工場地帯にかよう必要もなくなった。全国民が失業者になったようなもので、敗戦がもたらした虚脱感と、もう空襲で逃げまどうこともないし、憲兵や特高警察をおそれる必要もない安心感が、あっという間にひろがってきた。
「敗戦の明るさ。……この事実はなんぴとも感じていることだ。敗戦によってかって見なかった程大きな希望が生まれた」と、作家の石川 達三はいう。
食料の配給もとだえたが、あっという間に闇市場が出現し、それまで見ることもなかった物資や食料が並べられはじめた。飢えた人々が、わずかな食料を奪いあうようにして、買いあさった。
敗戦後、映画館は3日間上映を自粛した。
戦意高揚を目的とした映画がいっせいに上映を中止した。
焼け残った映画館としては、なんとか映画を上映しなければ経営ができない。そこで、どこから集めてきたのか、戦前の邦画の旧作や、戦前に公開された外国映画のプリントが、つぎつぎに上映された。
敗戦直後に、おびただしい人々が繁華街に押し寄せた。
民衆はこんな状況でも娯楽に飢えていた。飢えた人々が、食料を奪いあうように、少しでも自分たちの苦境を忘れることができるならどんな映画でもよかったにちがいない。
ソヴィエトのネップ時代の喜劇や、フランス映画、はてはメキシコ映画までが上映されたのだった。ただし、アメリカ映画が上映されたことはない。