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この一年、ほとんど何も書かなかった。ブログもあまり書けなかった。書くべきこともなかった。

自分でも信じられないのだが、この11月、私は米寿を迎えた。
かつて私のクラスにいたみなさんが、米寿を祝ってあつまってくれた。うれしいことだった。
みなさんが、私のブログを読んでいる、という。はげましの言葉も頂戴した。これも、ありがたいことだった。
しかし、老残の身のかなしさ、何も書けない。

例え、何を書いたところで、老いぼれのとりとめもない気ままな思い出なぞ、誰が耳を傾けるだろうか。

老人が片隅で何かつぶやく。よく聞きとれないし、何をしゃべっているのか意味もさだかではない。声にならない叫び。ときには、悲鳴。金切り声の叫び。

私自身、何度もそんな老人の姿を見、そんな叫びを聞いてきたような気がする。

たとえば、半世紀も昔のパリ、サン・ジェルマン・デ・プレ。まずしい服装の老人が、路上に腰を落としてうずくまり、まったく無言でひたすら路上の一点を見つめていた。
乞食だった。80歳ぐらいだろうか。よれよれの、汚れたスーツを着ている。おそらく仕事もなく、家族もいない身で、通りすがる人々のわずかな恵みをもとめている。

この老人は、みじろぎもせず、声を発することもなく、ただ、ひたすら路上の一点を見つめているのだった。老人は、薄汚れた生き人形か人間の剥製といった感じで、まばたき一つしなかった。眼は開けているが何も見てはいない。眼臉だけが赤くただれて、白内障か緑内障で失明に近い状態だったのか。
パリの繁華な通りの片隅で、年老いた乞食が、道行く人々に憐れみを乞うわけでもなく、ただ、放心したように、目の前の空間のどこかを見つづけている。
私は、これほど悲哀にみちた人間の姿を見たことがなかった。

しかし、誰ひとり老人に目もくれず、急ぎ足でその前を通ってゆく。

そして、これもある日のニューヨーク。夜明けが過ぎたばかりの時間。私はブロードウェイ近く、まだ人通りのない裏通りを歩いている。
ニューヨークに着いてすぐに、古着屋で、よれよれの革ジャン、少年用の派手なシャツ、白いソックス、スニーカーを買ったのだった。
当時のニューヨークは犯罪が多発していたため、旅行者が単身で裏通りを歩くのは危険とされていたが、私はすり切れた革ジャンのポケットに20ドル入れているだけで、旅行者には見えない恰好で歩きまわっていた。

ふと、道をへだててひとりの老女が立っていた。
貧しい身なりで、こんな早朝にどこから出てきたのか。私は、道路の反対側を歩いていたので、かなり距離があった。
老女はそのまま通りすぎようとした私にむかって何か叫んだ。ひどくひからびた声で、「I ain’t got a penny!」と聞こえた。
つまり、「あたしゃ、無一文なんだよ」と呼びかけてきたのだった。見ず知らずの私に訴えたところで、どうなるものでもないだろう。ただ、その声に、私はぞっとした。私としては顔をそむけて通りすぎるしかなかった。

こんな一瞬の情景が、どんな小説や映画のシーンよりも私の胸を打った。

私の旅はいつもこんなものだった。
このブログで、ほんとうに書きたいのは、そんな小さな、街の風景なのだった。