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【49】

1年近く前から、このブログで安部 公房のことを書きはじめた。「もぐら通信」の岩田 英哉さんの慫慂による。少年時代に出会った安部 公房のことをたどっているうちに、さまざまな人との出会いまで思い出すことになった。
このブログを読んでくださった読者から質問を受けたことから、中村 真一郎のことを思い出したのだった。

最終回を書くために、「緑色の時間のなかで」(1989年)を読み返してみた。

この数年、サクラの季節になると、もうこれが生涯の見おさめか、という感慨にと
らえられながら、花吹雪の下に立つのが習慣になっている。
少年時代には、ただ薄汚い印象をしか持たなかった桜の花が、年々、耐えがたいほ
どの美しさで、私に迫ってくるというのは、これもまた死の前兆でもあろうか。

真一郎さんがこう書いたのは1988年だった。
このブログで、安部 公房のことを書きはじめた私もそんな気分でサクラを眺めていたような気がする。……

さて、「安部公房を巡る思い出」も、このあたりで終わることにしよう。「世紀」の会の草創期について書くことも残っているのだが、「禍(わざわい)は妄(みだり)に至らず」。いずれ書けるようになったら書くということで。

ご愛読いただいた方々に心からお礼をもうしあげたい。