1648


【44】

中村 真一郎の「死の影の下に」が出て、盛大な出版記念会があった。
私もこの集まりに出たのだが、いろいろな先輩たち、友人たちが祝辞を述べた。やがて、これも先輩の批評家、中村 光夫がスピーチに立った。その祝辞たるや、まことに手きびしい内容で、「死の影の下に」をプルーストの拙劣な模倣とコキおろし、こういう作品はほんらい筐底に秘めておくべきもの、とまでいいきった。
中村 真一郎は、この祝辞のあいだ、ずっと面(おもて)を伏せたままだった。私は、中村 真一郎に同情した。いくら先輩であっても、中村 光夫のスピーチはあまりにも心ない仕打ちと見えた。

批評家として作品を批判するのなら、雑誌に批評を書けばいい。それなら、中村 真一郎もただちに反論できるだろう。ところが、出版記念会の主賓という、はじめから反論しようもない立場の後輩を、こういうかたちで窮地に立たせるのが、先輩の批評家のとるべき姿勢なのか。
いまの私が中村 真一郎だったら、すぐに立って、中村 光夫のスピーチを制止するか、マイクを奪ってどなりつけるだろう。これも先輩に対して後輩のとるべき態度ではないかも知れない。しかし、後輩の処女作の出版を祝う席上で、やんわりと苦言を述べる程度ではなく、衆人環視のなかで悪口雑言を投げつけるのは、あまりにも無礼ではないか。
このときから、私は中村 光夫という批評家を信頼しなくなった。
やがて、私は出版記念会など、文壇人の集まりに出ることを避けるようになった。むろん、別な理由もあった。
肺結核の症状がひどくなったため、寝込むようになったからである。