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     【38】

中村真一郎自身が祖父のことを話題にしたことは一度もなかったと思う、と私は書いた。これも薄弱な理由だが、中村真一郎自身が祖父のことを話題にしなかったと私が信じているのは――「近代文学」の人たちは、長年の親友どうしだったから、お互いの出自、経歴についてほとんど話題にしなかったからである。

1946年の秋、私は意外なことを聞いた。平野 謙が小林 秀雄の親戚と知ったのだった。これは平野 謙自身の口から聞いた。中村真一郎もこの話を聞いたはずである。
もう少しあとのことになるが、評論家の西村 孝次が、小林 秀雄の従弟にあたると知った。私は驚いた。一流の批評家には、やはり血筋、血縁というか、遺伝子めいたものがあるのかも知れない。
少年の私はそんなことをぼんやり考えたものだった。
平野 謙が小林 秀雄の親戚だったことは、「近代文学」の集まりでも二度と話題にならなかったが。
埴谷 雄高と島尾 敏雄が、ほとんど同郷と知った。荒 正人も、それほど遠くない土地の出身と聞いて、こうした人々の出自にはなにか地縁めいたものが働いているような気がした。

ある日、「近代文学」の集まりで、平野 謙が中村真一郎にむかって、
「中村君はいいねえ、フランス語が読めるからなあ」
といった。
中村真一郎は即座に、
「フランス語なんて、半年で読めるようになりますよ」
と答えた。
平野 謙は、中村真一郎の答えに苦笑した。

その後、大岡 昇平や、鈴木 力衛、村松 剛など、さまざまな人を見てきたので、フランス語が読めるようになるのは、努力次第で半年もかからないという中村説は、あながち牽強付会ではない、と思うようになったが、このときの中村真一郎のいいかたに私は驚いた。こっちはフランス語の動詞の変化もろくに頭に入らないのに、フランス語なんて半年で読めるようになる、というのは、自分が語学的にいかにすぐれた才能に恵まれているか、誇示しているようなものではないか。

むろん、フランス語が読める程度の勉強と、フランス語の作品が翻訳できるほど高度な勉強とは、やはり話が別だろう。
私は中村真一郎が自分の語学力に自信をもっていることに驚いたが、羨望したわけではない。ただ、オレにはフランス語の勉強は無理だなと思った。
無意識に劣等感が働いていたに違いない。

その中村真一郎が――「幼時に漢学者だった祖父によって、厳しく仕込まれた儒学の初歩への悪印象から長らく中国古典へはアレルギー反応を起こしていた」という。
中村真一郎は肉親(とくに、実父に対して)憎悪をもっていたと想像するが、祖父に対してもエディプス・コンプレックスめいた感情を持っていたと思われる。

もうすこし、はっきりいえば――「フランス語なんて、半年で読めるようになりますよ」といい放った中村真一郎に対する劣等感から、その後の私は、中村真一郎の作品にアレルギー反応を起こしたのだった。