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【21】

安部君のエッセイ、「おもちゃ箱」が書かれてからも、さらに長い歳月がながれている。
私にしても、「戦後」の思い出などは、自分でももはや実態のない、茫漠とした、ときには混沌としたものになっている。
当時の埴谷さんの印象を書いている。

洞窟のような寛容さをもった口をしていた。口が印象的なのは、たぶんあの笑い方のせいだろう。それは、まことにデモクラチツクな笑い方で、どんなに臆病な相手でも、さりげなく対話の勇気を与えてくれたりしたものだ。

という。

私は、埴谷さんにいろいろな質問をしては、その一つひとつを心に刻みつけようとしていた。
一方、安部君は、「近代文学の連中」とは、それほど親しみをおぼえなかったと見ていい。「近代文学」のなかでは、「埴谷 雄高だけが、不思議に鮮明な印象を残している」のは、いつもきまって埴谷さんと話をしていたからだろう。
「近代文学」の人たちは、例外なく安部君の偉才を認めていた。とくに、埴谷 雄高、佐々木 基一は、安部 公房の作品を激賞していた。これに対して、平野 謙、本多 秋五、山室 静などは、安部君の才能をじゅうぶんに認めながら、どう評価していいのかわからないようだった。

「近代文学」の人々のなかで、平野 謙、山室 静の二人は、編集会議にあまり顔を出さなかった。山室さんは信州に住んでいたため、上京するのもたいへんだったに違いない。

当時の安部君にとっては「近代文学」の人たちの話題が、「輪郭不明の朦朧体」としか見えなかったに違いない。たとえば、日本の文壇小説にまるで関心がなかったから。