【18】
安部 公房は「近代文学」の連中のなかで、「埴谷 雄高だけが、不思議に鮮明な印象を残している」と書いているにすぎない。「近代文学」の連中と接触しはじめた、という最初の文学的体験も、「輪郭不明の朦朧体としか映らなかった」という「体験」にすぎない。このことは、当時の安部君の内面に一種の苦みがきざしていたため、と私は考える。
いいかえれば、安部君は、「近代文学の連中」には、はじめからそれほど親しみをおぼえなかったと見ていい。
「近代文学」の人たちは、例外なく安部君の偉才を認めていた。とくに、埴谷 雄高、佐々木 基一は、安部 公房の作品を激賞していた。これに対して、平野 謙、本多 秋五、山室 静などは、安部君の才能をじゅうぶんに認めながら、どう評価していいのかわからないようだった。
逆にいえば、「近代文学」の人たちの話題が、「輪郭不明の朦朧体」としか見えなかったに違いない。たとえば、日本の文壇小説にまるで関心がなかった。
したがって、「近代文学の連中と接触しはじめた」と書いている「連中」には、平野謙、荒 正人、本多 秋五、山室 静などは含まれていないと見ていい。そのかわり、いつも「近代文学」の周辺にいた私、そして関根 弘、原 通久などが「近代文学の連中」だったに違いない。
安部君は、「近代文学の連中」とは、はじめからそれほど親しみをおぼえなかったと見ていい。「近代文学」のなかでは、「埴谷 雄高だけが、不思議に鮮明な印象を残している」のは、いつもきまって埴谷さんと話をしていたからだろう。
洞窟のような寛容さをもった口をしていた。口が印象的なのは、たぶんあの笑い
方のせいだろう。それは、まことにデモクラチツクな笑い方で、どんなに臆病な
相手でも、さりげなく対話の勇気を与えてくれたりしたものだ。
という。
「近代文学の連中」の中に、私や、関根 弘が含まれることはいうまでもない。