【16】
「近代文学」が、戦後のジャーナリズムの中心の一つになったため、同人たち、とくに荒 正人に原稿を依頼する人たちが、ひっきりなしにやってくる。「近代文学」の応接室がいっぱいなので、駿河台下の「きゃんどる」という喫茶店が、文学者のたまり場になった。
ある日、「近代文学」の人びとが「きゃんどる」に集まっていた。
そこに、1人の作家が入ってきた。青い外套を着て、胸もとにフランス語の原書をはさんでいる。驚いたことに、素足で、底のすりへった下駄を履いている。
「きゃんどる」は、客が七、八人も入ればいっぱいになる狭い店で、隅にちぢこまっている私の横に、その作家が腰をおろした。
佐々木 基一さんが立って、挨拶した。その作家は、かるく会釈しただけで、コーヒーを注文すると、ふところにはさんだ原書を左手にもって読みはじめた。
フランス語はおろか、英語も読めなかった私だが、この作家が何を読んでいるのか好奇心にかられた。せめて本の題名だけでも知りたいと思って、横目使いで見たが、わからなかった。
そのうちに、「近代文学」のひとたちの話題が、何かのことにおよんだ。誰も知らないことで、ちょっと沈黙がながれた。
と、その作家が、本を読む手をやすめず、
「それは、太田 南畝の……に出てきますよ。……版の……ページですが」
といった。
この作家が石川 淳だった。
私は、石川 淳の博識に驚いたが、そのとき、彼が読んでいたのが、アナトール・フランスの「ペンギンの島」だったことにもっと驚いた。フランスの小説をいとも気楽に読みこなす作家がいる。これが、私にショックをあたえた。
「きゃんどる」の思い出も多いのだが、やがて「近代文学」の編集室が、「文化学院」から駿河台下、「昭森社」の一室に移ったため、戦後派の人びとも、「ラムポオ」に集まるようになった。