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【13】

はじめて「近代文学」に荒 正人を訪れたとき応対してくれた若い女性は、藤崎 恵子だった。
「文化学院」の卒業生で、戦時中に人形劇団をやっていたという。はるか後年、画家になった。同時に、フランスのジュモー人形のコレクターとして知られ、人形に関する著書もある。
私は、彼女と親しくなった。といっても、私より、二、三歳、年上で、頭の回転が早く、きびきびしていた。だから、私にとっては姉のような存在といってよかった。

私はいつも背広を着ていたから、外からみれば、いちおう中流の生活環境にいたように見えたに違いない。
実際には、すさまじい貧乏で、本を買うためにその日の食事をぬくような状態だった。

荒 正人に会ってすぐに、埴谷 雄高に会った。
はじめて会ったときの印象はあざやかに残っている。当時、36歳だった埴谷さんは、長身で、グレイの服に、オイスター・ホワイトのヴェストを着ていた。はじめて紹介されたとき、演劇人かと思った。誰かに似ていると思った。このときは、誰に似ているか思い出さなかった。

その日、「近代文学」の人びとは、発表されたばかりの坂口 安吾の「白痴」を論じあった。私も飛び入りで、この人たちの、めざましい、生彩あふれる批評に加わった。私も、いろいろと発言したが、どんなことを話したのか。
平野さんが、坂口 安吾と、ある女流作家の恋愛にふれたことはおぼえている。
私は、すぐれた批評家たちの発言を聞きもらすまいとしていたが、この人たちの話をじかに聞くことができる幸福感にあふれていた。生意気にも、この人たちに認められたいという思いから、できるだけ正直に自分の読後感を述べたのだった。