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      【5】

戦争が終わった日の午後、私は椎野 英之の部屋に遊びに行った。

思いがけないことに、椎野の部屋に訪問客がいた。若くて美しい女性だった。
戦時中は、どこの家庭の娘たちもモンペ姿だったが、このお嬢さんは、戦争が終わった日に、すらりとしたからだを、ゆたかなワンピースでつつんでいた。
美貌だったが、なによりも表情があかるかった。魅力のある女に共通する一つの特徴は、例外なく明るく、さわやかな表情を見せていることだが、このお嬢さんは、モンペ姿の娘たちの、思いつめたような、緊張しきった表情がない。
その服装から、彼女が「文学座」の研究生とわかった。

椎野が私を紹介してくれたが、彼女は私には眼もくれなかった。佐々木というお嬢さんだった。戦争が終わった瞬間に、若い娘がこれほどあざやかに変身するものか。そんな驚きがあった。いまなら、それほど挑発的には見えなかったにちがいない。しかし、佐々木 瑛子のドレスは、胸のラインぎりぎりまで開いていた。ブラジャーはわざとつけていない。ウェストがきゅっとしまって、フレヤーが波のようにひろがって、いかにもたおやかに見えた。私は、椎野がこんなに若くて美しいお嬢さんと親しくしていることに驚いた。

彼女が椎野を訪れたのは――戦争が終わったのだから、すぐにも劇団の再出発を考えなければいけないという相談だった。とりあえず、久保田 万太郎先生、岸田 国士先生に連絡をとりたい、という。彼女の話は、かなり具体的なもので、私などが名前だけ知っている芸術家、俳優、女優たちの消息がつぎつぎに出てきた。

話の途中で、すさまじい爆音が聞こえはじめた。空襲の恐怖は、誰にも共通していたが、この日、空襲警報が出るはずもなかった。B29の爆音なら、はるか上空から聞こえてくるはずだったが、この爆音はすさまじい速さで、大森上空を疾走してくる。アメリカ空軍機が、早くも東京を偵察にきたのかと思った。
私は、その機体を見ようとして、椎野の部屋の窓から乗り出した。
爆音の正体は――海軍航空隊の戦闘機、2機だった。
おそらく敗戦を知った土浦の海軍航空隊の一部が、戦闘継続を主張して、示威運動を起こしたにちがいない。
佐々木 瑛子は、窓からのり出して、大声で、

「もう、戦争は終わったのよ!」

声をあげた。私は、この少女の純真な怒りに驚いた。と同時に、その驕慢な姿勢に驚かされた。
戦闘機は驚くほどの低空に飛来して、瞬時に飛び去った。

しばらくして、私は椎野と佐々木 瑛子を残して帰宅した。

1947年12月、劇作家、内村 直也は戦後最初のラジオ・ドラマ、「帰る故郷」を書いた。このドラマに佐々木 瑛子が出ている。この放送劇は、「文学座」のために書いたもので、杉村 春子、三津田 健、宮口 精二、中村 伸郎。新人として新田 瑛子、伊藤 聡子、賀原 夏子が出た。
このドラマは成功した。
この放送劇で、内村 直也は、戦後のラジオ、ドラマのパイオニアになってゆく。

後年、佐々木 瑛子はある作家と結婚したが、やがて悲劇的な死をとげた。作家は、この事件によって重大な影響をうけて、一時は作家としてのキャリアーも終わったとまで覚悟したが、その後、立ち直った。
ここではこれ以上ふれない。