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【1】

昨年の秋、岩田 英哉という人から、思いがけない手紙をいただいた。岩田さんとは面識がない。
少し説明が必要になる。

岩田さんは安部 公房の熱心な研究家で、独力で安部 公房に関するリーフレット、「もぐら通信」を発行しているのだった。私は少年時代に安部 公房と親しかったので、このブログで、安部 公房の名をあげたことがあった。それに目にとめた岩田さんが、「もぐら通信」に転載したいといってきたのだった。

私において否やはない。

やがて「もぐら通信」に拙文が掲載された。これは、うれしいことだった。

その後、岩田さんからまた手紙をいただいた。そのなかに――「更に安部 公房との想い出をたくさんお書きいただけないでしょうか」とあった。
私は少し驚いた。私などがいまさら安部 公房について書くのは僣越至極、また、何か書いたところで誰も関心をもつはずがない。そう思った。
そのとき、ふと気がついたのだが――「戦後」すぐに私が知りあった、たくさんの文学者、私と同時代の作家、評論家たちも、ほとんどが鬼籍に移っている。いまさらながら無常迅速の思いがあった。

埴谷 雄高、野間 宏、花田 清輝などの先輩たちだけでなく、私と同世代の関根 弘、針生 一郎、いいだ もも、さらに小川 徹、森本 哲郎、矢牧 一宏までが亡くなっている。
やはり、「戦後」すぐの安部君について少しでも書いておいたほうがいいかも知れない。そう思いはじめた。

安部君のことを思い出しているうちに、「近代文学」の人びとをいろいろ思い出した。そればかりではなく、いろいろな時期に出会った人びと、さらには敗戦前後のことがよみがえってきて、収拾がつかなくなった。

作家の回想というのもおこがましい。
私の内面につぎつぎにふきあげてくる思い出を書きとめておくだけだが、時あたかも戦後70年、まだ記憶していることを気ままに書きとめてみよう。