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夜が明けようとしている。

前日、「カレン」ときっぱり別れたはずの「ジミー」が、前非を悔いて「カレン」の部屋にいそぐ。謝罪しようとして、「カレン」の部屋から「デレク」が出てくるのに気がつく。「ジミー」はそのまま失踪する。じつは、この時点で、「ジミー」の親友、「ヒット・リスト」の原作者「カイル」は事故死している。
ブロードウェイの、「ボムシェル」公演は成功するが、作詞/作曲の「トム」/「ジュリア」は、新作「華麗なるギャツビー」ミュージカル化をめぐってついにチーム解消に追い込まれる。
演出家の「デレク」は「カイル」の死で全員が士気喪失したため、「ヒット・リスト」の公演中止を考える。しかし、劇場の外では観客が列を作っている。いそいでコンサート形式で上演しようとするところに、主演の「ジミー」が戻ってくる。そこで、急遽、舞台は初日を迎える。

「SMASH 2」の後半は、ドラマターグの「ピ-タ-・ギルマン」を「消したり」、「デレク」のセクシュアル・ハラスメントや、「ジュリア」が15年も昔の相手、「スコット」のために、ドラマターグをつとめる。「ジミー」の失踪。「カイル」の事故死。
こうなると、それぞれの回のシナリオが、話の「つじつま」(coerenza)あわせに狂奔しているといっていい。

悲劇的なシーンの感動をつよめるためにユーモラスなシーンを並べるのは、コントラストをつよめるためだが、「SMASH 2」は、映画スター、「テリ-・フォールズ」を軽薄に描くことで、いかにもブロードウェイのハリウッド風刺や、最後の「トム」の、「トニー賞」審査員相手のワインさわぎ。愚劣なファルス。
「ボムシェル」公演が成功し、「ヒット・リスト」とならんで「トニー賞」にノミネートされる。このとき、作曲=演出家の「トム」は、審査員のひとり「パトリック・ディロン」にワインを贈る。これが選考に手心をくわえさせる行為と見なされれば、「ボムシェル」は選考から外される。
そこで、「トム」は、あわてて、ワインをとり戻そうとする。
「第15話」に、こういう笑えない笑劇(ファルス)が出てくる。

ストーリーの「組み立て」も粗雑になって、メイン・キャラクターが雪崩をうってエンディングめざして走っているようだ。

演出家の「デレク」は、「ヒット・リスト」であたらしい女優、「デイジー・パーカー」(マラ・ダヴィ)を起用するが、彼女は「デレク」をセクハラで窮地に追い込んだひとり。不審に思った「カレン」の追求で、「デレク」は脅迫されていると白状する。
一方、「ボムシェル」で成功した「アイヴィー」は、スターの仲間入りを果たすが、ストリッパーの役で。彼女は抵抗するが、けっきょく歌うことになる。スターになった「アイヴィー」は「カレン」と仲直りするが、すぐにまた対立する。しかも、「ボムシェル」が成功したばかりなのに、妊娠していることを知らされる。
「SMASH 2」も、ただひたすらエンディングに向かっている。残すところ、あと2回。どうして、こんなにつまらないドラマになってしまったのか。今回は、キャサリン・マクフィーがいい歌を歌っているのでなんとか見られる。
ジョシュア・サフラン自身が「第14話」の脚本を担当している。演出が、マイケル・モリスだったことも記憶しておこう。理由は――ここではふれない。

プロデューサー、ジョシュア・サフランは、「カイル」追悼でこのドラマの最後の収束をはかった。「カイル」追悼が、そのまま「SMASH 2」へのトリュービュートであるかのように。

夜が明けようとしている。
深夜にソチ・オリンピックの開会式を見たうえ、「SMASH 2」を見たため、4時過ぎにもう一度、ベッドにもぐり込んだっけ。