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 「ジュリア」の脚本(ボストン公演)の弱点をカヴァ-するために「ピ-タ-・ギルマン」(ダニエル・サンジャタ)というドラマタ-グが登場する。ドラマタ-グというのは、他人の脚本に手を入れたり、弱い部分をカットしたり、必要とあれば自分が書き直す。上演の場合、ドラマタ-グの名が出ることはない。いわば、影武者のような存在。
「ピ-タ-・ギルマン」自身が書いた戯曲は1編だけ。「自分には、いい脚本を書く才能はない。しかし、人に教える才能はある」という。ニュ-ヨ-ク大の演劇科で講義しながら、ブロ-ドウェイの有名作品の多くのドラマタ-グをつとめた人物。ダニエルという俳優はなかなか魅力があって、「イヤ-ゴ-」をやったらぴったりという役者。ウディ・アレンの映画にも出ていた。
ただし、この「ピ-タ-」は、「イヤ-ゴ-」ではなく、ブロードウェイの脚本家も、お互いに足をひっぱるのではなく、協力すべきだという理想的なキャラクターに「変身」する。

このドラマタ-グの起用にも、おそらくもう一つ別の理由がある。

「SMASH 2」のショー・ランナー、ジョシュア・サフランは、「1」の「マリリン」像を徹底的に否定する。「ピ-タ-・ギルマン」の「ジュリア」脚本の改訂の目的は――テレサ・リューベックの「SMASH 1」の全否定という、すさまじい結果になった。

「ピ-タ-・ギルマン」の行動はジョシュア・サフランのテレサ・リューベック批判のあらわれと見える。

「SMASH 2」の、大きな特徴は、「2」のプロデーサーズが「1」のプロデューサーズより圧倒的にふえていること。つまり、あたらしいプロデーサーズを多数起用することでもとのプロデューサーズ、ジム・コーリーズ、マーク・シャイマン、スコット・ウィットマン、ノレイグ・ゼダン、ニール・メロン、ダリル・フランク、ダスティン・ファルヴェイなどの位置を相対的に低くする。しかも、それぞれのストーリーに別々に多数の女性脚本家を起用していること。

「2」全17話の脚本家は、男性が(ショーランナーの)ジョシュア・サフランをふくめて4名。
これに対して、女性の脚本家は、共作をふくめて8名。
単純にいって、1:2の比率で女性のほうが多い。

ジュリア・ブラウネルが、3回(第6話/第11話/第15話)
イライザ・ズリッキイが、2回(第2話/第10話)
ジュリア・ロッテンバーグが、2回(第2話/第10話)
ベッキイ・モードが、2回(第7話/第13話)
バテシバ・ドーランと、ノエル・ヴァルディヴィアが、それぞれ1回づつ。

おそらく――「第5話」あたりで、視聴率が低いまま低迷している「SMASH 2」のブラッシュアップを考えはじめたのではないかと思われる。
その結果、「ピ-タ-・ギルマン」の登場は、「ボムシェル」脚本の改訂で、「最高の傑作」までたどりつく。その結果、「ピ-タ-・ギルマン」は、「シルヴィア」の急場を救う「ブロテュース」(「ヴェローナの2紳士)よろしく、まったくの善意の人に変身してdrama から消えてしまう。「ヴェロニカ」(ジェニファー・ハドソン)が消えてしまうのとおなじように。
「SMASH 2」の低迷で――「ピ-タ-・ギルマン」の「ジュリア」脚本の改訂の「ライン」(方向性)を再考しはじめて、「ピ-タ-・ギルマン」は「イヤーゴー」ではなく、「ボムシェル」の原作を「最高の傑作」に仕立て上げる「善意の人」に変化させる。一方でフランス文学の古典、「危険な関係」のミュージカル化に、映画スター、「テリ-・フォールズ」を登場させ、その俗物ぶりを嘲笑することで、「アイヴィー」の「苦難」と「光栄」を対比する。
この「第5話」~「第9話」あたり、「SMASH 2」の混乱と、作戦の建て直しに右往左往している「SMASH 2」のプロデューサーズの姿が見えるような気がする。

このあとから、各話のストーリーが、まるで断片をつなぎあわせるようなものになってくる。それぞれのシークェンスが、長編におけるキャラクターの「変化」ではなく、場あたり的な人物の「出し入れ」がめだつ。