「SMASH 2」のあたらしい展開のために、あたらしいキャラクター、「ヴェロニカ」(ジェニファー・ハドソン)が登場する。ジェニファーは、エミー賞を2度受けた黒人女優である。
だが、「SMASH 2」の「ヴェロニカ」の登場には必然性がなく、当然ながら「カレン」や「アイヴィー」のドラマ、性格上の発展、変化とは関係がない。
なぜ、ジェニファー・ハドソンが起用されたか。もとより忖度のかぎりではないが、「2」のジョシュア・サフランは――「SMASH 2」が「カレン」と「アイヴィー」ふたりの確執、嫉妬、羨望、ドラマの中でのふたりの成功と挫折だけでは成功しないと判断したはずである。
アーティストとしてのジェニファー・ハドソンは、たいへん魅力的なミュージカル女優で、自分のナンバーを圧倒的な迫力で歌う。
それも当然で、ジェニファーは「1」の出発とほぼ同時期に、新作「アイ・リメンバー・ミー」が大ヒットしていた。「ビルボード」で、発売1週間で16万5000枚。この年だけで、50万枚。圧倒的な数字である。デビュー・アルバムが80万だったから、たいへんな実力派といえるだろう。(映画でも、アカデミー賞の助演女優賞をとっているし、ゴールデン・グローヴ賞もさらっている。)「SMASH 2」のプロデューサーの目に、強力なリリーフと見えたに違いない。
だが、「SMASH 2」はジェニファー・ハドソンを起用する必然性がなかったと私は考える。
ジェニファー・ハドソンの役、「ヴェロニカ」は、年齢的にもキャリアーとしてももはやブロードウェイという枠におさまりきれない女優なのに、いつもステージ・ママにつきまとわれて、清純な「娘役」を演じているという設定。
「SMASH 2」の「第1話」で、「ヴェロニカ」は演出家、「デレク」に、あたらしいショーの演出を依頼する。芸術家としての自分のあたらしい面を切り開くために。
ところが、この「ワン・ナイト・ショー」の演出にも、「ヴェロニカ」の母親がいちいち干渉してくる。
「SMASH 2」の視聴者は――この母娘の「関係」から、「1」の「アイヴィー」と母親の「リー・コンロイ」の対立を連想するだろう。いまさら、おなじテーマを「ヴェロニカ」と母親の対立で見せられるのかとげんなりしたファンも多かったのではないだろうか。
たしかに、ジェニファーの歌唱力はすばらしい。とくに、最初の二人の合唱――第一話「オン・ブロ-ドウェイ」のジェニファー・ハドソンの歌に、キャサリンがスキャットでフォロ-するシ-ン――では、キャサリンの歌唱力が劣っているように見える。
ジェニファーがすばらしいだけに、観客は、当然、今後の展開にジェニファーが大きな役割を果たすものと思う。ところが、ジェニファーは、この「ワン・ナイト・ショー」の公演だけで、あとは、まったく姿を消す。「SMASH 2」の失速は、こうしたジェニファーの「設定」に大きな原因がある。
おそらく、もっと別の理由もあったに違いない。
ジェニファーは、数年前に個人的に大きな悲劇の渦中にあって、いたましい、陰惨な事件を経験している。このスキャンダルから脱出してブロ-ドウェイに復帰していただけに、アメリカの視聴者は――「SMASH 2」のジェニファー・ハドソンの登場に、何を見たのか。