「SMASH 1」の成功は、なんといっても、登場人物の魅力の大きさによる。小説でも、芝居でも、すぐれた作品の魅力は、まず例外なく登場人物の魅力に収斂している。 ひどく単純化していえば――「SMASH 1」は、清純派の「カレン」と肉体派の「アイヴィー」のコントラストに収斂していた。
それが、「マリリン・モンロー」の二重性に重なっていたと見ていい。
「アイオワ」出身の「娘役」(インジェニュ-)の「カレン」に対して、「アイヴィー」は有名女優の娘ながら、長年、下積みのコ-ラスガールをやっている、いささかビッチィーな女優。ごくわかりやすいコントラストで――このふたりのライヴァル関係、ひいては価値観の対立は、「女」として、「女優」として「役」(生きかた)のなかで解決しなければならない、それぞれの愛情のありかた、豊かさ、そうした演技がどこまで出せるか、という問題にうまく重なってくる。
単純なだけに、説得力もある設定だった。(これは、原作のガースン・ケニンの「マリリン・モンロー」がそうだし、「SMASH 1」の、ストーリー・ランナー(原案作成)のテレサ・リーベックの基本的な設定だったと見ていい。)
「カレン」と「アイヴィー」。ふたりは何から何まで対照的で、「カレン」の無邪気さ、純粋さ。「アイヴィー」は野心的で、現実の「マリリン」が「比類ない彼女」Uncomparable She としてのエロスを併せ持っている。
「1」(第1話)――最初のオーディションに合格した夜、「カレン」は、演出家「デレク」(ジャック・ダヴェンポ-ト)に呼び出される。「デレク」は演出だけでなくコレオグラファー(振り付け)で、「カレン」を誘惑しようとする。「カレン」は「デレク」から逃げるが、「アイヴィー」は、サシで稽古をつけようとする「デレク」と寝てしまう。
どんな役でももらえるだけでいい。でも、「アンサンブル」という呼びかたは恰好がいいけれど、実際にはコーラス・ガールじゃないの。(「カレン」のアルバイト先の同僚(日系の女優、ジェニファー・イケダ)がいう。コーラス・ガールの世界はきびしい。 オーディションでプロデューサー、演出家の眼にとまって採用されなければ、舞台に立てない。観客の眼にとまらないほんの端役でも、全力をつくして舞台をつとめる。
いつかスターになることを夢見て、ブロードウェイで次の舞台に期待をかける。だが、そんな奇蹟はほとんど起きない。
日本だって、下積みの役者たちの生活は似たりよったり。私は、「SMASH」を見ながら、自分の知っている無名の役者たちの姿を思いうかべた。
「SMASH」に関心をもったのは――ブロードウェイの下積みの役者たちの生きかたが、少しでも見えるからだった。(「SMASH」の先行作品として「フェイム」、「コーラスライン」を思い出す。「ミュージカル」を描いたミュージカルの先例として、「ア・クラス・アクト」をあげても、それほど見当違いではないだろうと思う。)
「カレン」と「アイヴィー」は、「ボムシェル」の「アンサンブル」として、きびしい稽古に明け暮れる。
このドラマ「1」で、カレン」と「アイヴィー」ふたりの、孤独感、嫉妬、羨望、ドラマの進行につれて募ってゆく憎しみ。それは感情の領域から――「女」としてのステータス獲得という目的にかかわってくる。