ずいぶん前に書いたのだが、ある時期,江戸文人のお墓まいりをしたことがある。
掃苔の趣味がないので、私のお墓まいりにはさしたる理由もない。
いつもいっしょに登山をしていた若い友人が、不治の病にかかって、登山どころではなくなった。夫人の希望で、その病気のことは最後まで本人には伏せたので、私としては残された時間をできるだけ友人たちといっしょにすごしてほしい、と思った。友人に、あまり負担をかけないでできること。私の考えたのは「江戸の文学散歩」という名目だった。
私の周囲にいた女性たちにも声をかけた。むろん、彼女たちにも彼の病気のことは伏せたのだが。
若い友人は山の手生まれ。優秀な人物だったが、下町のことは何も知らなかった。彼の登山スタイルも、はじめは北アルプスだけが目標といったタイプだったが、私といっしょに、地図にル一トも出ていないような無名の山に登るようになった。
最後には、わざわざ誰も登らない滝を「発見」して、むずかしいル-トに何度も挑戦するようになった。
私が「江戸の文学散歩」で選んだのは、まず、葛飾北斎の墓だった。台東区西浅草4・6・9 浄土宗・誓教寺にある。
北斎、姓は中島。名は時太郎、のちに鉄蔵という。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など、じつに三十あまりもあるという。
つぎに浅草六丁目、遍照院。北斎、終焉の地であった。