閑院宮 載仁の記事から、まるっきり別のことを思い出した。
小学校4年だったろうか。ある日、全校生徒が学校の外に整列させられた。皇族のお一人が軍の閲兵に参加するので謹んで送迎せよ、という達示があったらしい。この皇族が、元帥、閑院宮 載仁だった。
小学生たちは,受け持ちの先生に引率されて、ゾロゾロ校外に出て、ご一行さまが通過する沿道に並んだ。
お召しの乗用車が通過するときは、号令で、ふかぶかと頭をさげなければならない。その際、けっして眼をあげて、お顔を見てはいけないという。
小学生たちにとっては、退屈な行事だった。路上に並ばされたのも退屈だったし、その間、私語も禁止されていたから。みんなモジモジしながら、並んでいた。
なかなか閑院宮ご一行さまの車はこなかった。1時間以上も日ざかりの沿道に整列したまま、お互いに口もきかずに、見ず知らずの皇族のお一人のお通りを待つのは、小学生には苦痛だった。列のあちこちで、低い話声が起きたり、女の子からオシッコに行きたいという声があがりはじめた。担任の先生があわてふためいて、その女の子を抱くようにしてどこかにつれていったりした。
しばらくして、遠方に動きが起きはじめた。明らかに緊張がひろがっている。遠くから,つぎつぎに号令の声が伝えられて、その列の人々が頭を下げるのだった。
まるで何かの波動が伝わるように、私たち小学生たちにも、緊張した空気が走って、
「敬礼!」
という号令が聞こえた。
私たちは深く頭をたれた。
私たちから、15メ-トルばかりの距離を先導の車が通過してゆく。頭を下げているので何も見えない。しかし、車が通過していることはわかった。
しばらくして、私は少し頭をあげた。
私の前を車が通過してゆく。その車に、軍服を着た白髯の老人が端座していた。
フ-ン、あのヒゲジイサンが閑院宮殿下なのか。小学生は思った。
車はそのままのスピ-ドで粛々と走り去った。
それだけのことである。
閑院宮 載仁の日記の記事から、少年の見たオジイサンの風貌を思い出した。
戦前の天皇制国家の軍国主義のささやかなエピソ-ド。