地中海に面して、あまり観光客の寄りつかない、小さな岬にその美術館はあった。
夜の漁港で男の子が釣りをしている。このピカソの版画は、カンヌに行く途中で見た。小さな美術館だが、ピカソの版画をたくさん展示していた。
ピカソの版画、とくにヌードを見ながら、女子学生、Nを思い浮かべた。
画家志望。ヌードを描きたいが、モデルがいない。女の子の誰かと交換でヌードになってもいい。ある日、Nは私に語った。
Nは特定の恋人はいないけれど、あるロック・グループの男の子と寝ている。セックスの快感はふつうではないかと思う。
ウィグが好き。ファッションも好きで気に入ったものもあるけれど、貧乏な女子学生なのでなかなか買えない。
本はよく読む。しかし、読んでいるうちにその世界に入ってしまうので、自分でも収拾がつかなくなる。
今はすごく幸福だけれど、そのうちに「鬱」がやってくるような気がする。落ち込むと自殺したくなる。
「私が死んだら、先生、泣いてくれるかしら」
Nは、私のクラスにきていた。
当時,私は9時20分から授業をはじめるのだった。Nは欠席している。どういうものか、今朝の授業はあまりうまくいかない気がする。
何か質問は? と水をむける。生徒たちのほうも、授業なんか聴きたくない。「先生の青春時代のことを話してください」
こういう質問はうれしくない。
私に青春時代などどこにもない。戦争中の勤労動員、すさまじい戦災の話など、女の子たちに聞かせても仕方がない。しかも、そんな話は何度も話しているので、自分でも話の段どりができてしまっている。それでも女の子たちは、はじめて聞く話なので、神妙な顔をして聞いてくれた。
授業のあと、一階の「生協」の前で休んでいると、別のクラスのMが絵をもってきた。私が企画した「マリリン・モンロー展」に出品する絵だった。私は「マリリン展」に、旧知の画家、スズキ シン一と、人形作家の浜 いさをの作品を並べるつもりだった。ほかには、この美術大の女の子たちに協力してもらうつもりだったが、これに芸術学部の助手、吉永 珠子が協力してくれた。
夕方、新宿の「伊勢丹」で「アルベール・マルケ展」を見る。
落ちついた画風がいい。ヌードは2枚しかないが、どちらもすばらしい。この絵を見ているうちに、Nにもぜひマルケのヌードを見せてやりたいと思った。
その半年後、Nは私のクラスに出なくなった。