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その後、テネシー・ウリアムズの「浄化」をやった。これも、私の訳。この芝居は、いろいろな機会に、いろいろな劇団の女優をつかって演出してきた。
「SHAR」の舞台では――田栗 美奈子を「エレーナ」、野沢 玲子に「ルイーザ」というキャストで稽古をつづけた。
田栗 美奈子と野沢 玲子が、直接、わたりあう場面はない。しかし、ふたりが出るシーンで、いつも舞台に輝きがますことに気がついた。もともと原作がそういうかたちをとっているからだが、しかし、ラテン・アメリカの民族衣裳の玲子、純白のウェディング・ドレスの美奈子が出てきたとき、一瞬、私は夢を見ているような気がした。こういう時の演出家は、ただもううれしくなって、あまりのうれしさに不安をおぼえることさえある。
私は、この二人のエスプリにひそかに舌をまいたのだった。

野沢 玲子が、長ゼリフのあと、キッと顔をあげたとき、南アメリカの片田舎の太陽がギラギラと輝くようだった。このとき、なぜか誰かに似ているような気がした。誰だっけ? ずっとあとになってから、イタリア系の、エロティックな女優、アイリーン・ボルドーニに似ているような気がした。むろん、そんなことは話さなかったけれど。

やがて、私は、アリス・ガーステンバーグの「不思議の国のアリス」を上演した。
20年代のアメリカの女流劇作家がルイス・キャロルを脚色したもので、クラスの人たちが訳した。それを私がさらに脚色したのだが、この舞台は、その時期の「SHAR」の総力を結集したものだった。
「不思議の国のアリス」上演という途方もない思いつきは、クラスの何人かの芝居好きな人たちの賛成を得て、実現することになった。このとき、私の思いつきを誰よりも熱心に支持してくれたひとりが野沢 玲子だった。

私は野沢 玲子に「イモムシ」の役をやらせた。たいていの役者なら、もっといい役をやりたがるところだが、野沢 玲子は、まったく不平をいわずに引き受けてくれた。「イモムシ」は動きのない役だったので、私はわざわざ舞台下手に彼女を置いた。「イモムシ」で動けないからこそ、いちばん目立つイドコロを選んだのだった。黄色とグリーンの長いピロウを抱かせて、「イモムシ」の特徴を強調した。彼女には何もいわなかったが、演出上の意図を即座に理解したらしい。そして、これも成功したと思う。

「アリス」には、いい思い出がいっぱいある。たとえば、今は一流の翻訳家になっていた岸本 佐知子が飛び入りのようなかたちで「トランプの兵隊」のひとりになって出てくれた。すぐに動きをつけたが、セリフはない。終幕、「白の女王」(田栗 美奈子)と、「赤の女王」(堤 理華)のあいだで折れ重なって死んでしまう。それだけの役なのに、心から楽しんでやってくれたのだった。

「不思議の国のアリス」は成功した。

芝居が終わって、舞台が明るくなったとき、出演者たちが、笑いさざめいた。みんなが芝居の成功に昂奮していた。みんなが握手したり、手に手をとってピョンピョン跳ねまわったり、よろこびの言葉をかわしていた。私はカーテンコールで花束をもらった。
芝居がうまく行った経験のある人は、こういう瞬間の感動が、どんなに純粋によろこびとして感じられるか知っているだろう。

私は、「アリス」や「白の女王」、「赤の女王」たちに、つぎつぎに声をかけた。
イモムシのピロウを抱えた玲子がいたので、私は、彼女の肩に花束をのせて、
「イモムシ、よかったよ。とっても楽しかった」
と、声をかけた。
野沢 玲子は、はずんだ声で、
「よかった。(先生の)芝居に出られて」
大きな眸がいきいきと笑いかけてくる。  (4)