この夏、しばらくブログをお休みした。
暑さには関係がない。鬱だったわけでもない。何かを見ればいつも何かを思い出す。
知人や友人たちの訃報を聞くたびに、おのれの一生を考えあわせて、もはや80の坂を越した。このままくたばったところで、なんの悔いもない、と思いさだめた。
そう思ったとたん、ブログを書く気がなくなった。どうせ誰に読んでもらうこともない綺言妄語ではないか。
たとえば、ロシアのオペラ歌手、マリア・マクサコワを聞いた。以前だったら、この歌姫について、何か書いたはずだが、私はこの歌姫に「感動した」とは書いても、それ以上何も書けなかった。まあ、書けなければ仕方がない。
80過ぎの老いぼれが才能の枯渇を意識しないわけがないし、才能が枯渇しないほうがどうかしている。
たまたま、ある人から「エンジェルハ-プ・ユニット」というCDを頂戴した。
ハ-プの合奏のコンサ-トのライヴだが、親しみやすく明るい曲が選ばれていた。こういうコンサ-トが、多くの人をあつめているのも演奏する人の魅力によるだろう。
プログラムは、映画、「ニュー・シネマ・パラダイス」のテ-マから、ラテンの「エル・クンバンチェロ」、「コ-ヒ-・ルンバ」、「ラ・ビキ-ナ」など私でも知っているものが多かった。
私はこのCDを聴きながら、あらためて音楽に癒される気がした。
何かを書きながら音楽を聞く。あるいは音楽を聞きながら文章を書く。
私もそんな一人だが、これまでハ-プを聴きながら何かを書いたことはない。自分でも意外だったが、このCDを聞いて予想以上にハ-プを堪能しながら、是非にもこのコンサ-トを聴きに行きたかったと思った。
コンサ-トに行くことは、自分ひとりが音楽を聞くことではない。お互いに見ず知らずの人たちといっしょに聞く。となれば、個人の嗜好を越えた行動だし、私たちが生きている場、ひいては文化なり,伝統なりを共有することだろう。
私は携帯やiPodなどで、好きな時に好きな曲を聞くことがない。前世紀の遺物である私は、さまざまなデ-タ化、パッケ-ジ化のなかでウロウロしたくない。いまさらウロウロしてたまるか。
そういうスタイルはもともと私に似合わないと思っている。
きびしい暑さが続いている。
子どもの頃、外にタライを出して水を張っておく。30分もすると、いい湯加減になった。行水をつかう。子どもでも気分がよかった。
大人は真昼間から銭湯に行く。頭から熱い湯を引ッかぶって、冷たい水でゴシゴシやっただけで、手拭いを肩にかけ、褌一本で外に出る。すぐ近くの酒屋の店先で、木のマスになみなみと酒を注いで、クイッとやる。マスの脇に塩がひとつまみ。
仁王さまみたいな連中がいた。
大人になったら、ああやって酒を飲んでみたいと思ったものだ。
残念ながら、酒も飲めなくなっちまったが。
というわけで、しばらくぶりにブログを書く気になった。
何を書くか。
これまでの私は、他人について悪口を書いたおぼえはない。おのれを褒め、他人をそしる両舌(りょうぜつ)に、関心はなかった。だが、今後の私は、あえて綺言妄語を書くやも知れぬ。
ただし、もし書くとしても、少し気楽に、(つまり、へんにかまえて綺麗ごとを書くのではなく)もっと、くだらないことを気随気ままに書くがいい、と思う。
「マクベス」ではないが、
あした、またあした、そしてまたあした、
一日いちにち このささやかな足どりで 這いずり寄ってゆく
つもり。以上、ブログ再開の口上。