上田 敏の「現代の芸術」と中 正夫の「速力狂時代!」を読んで、あらためて私たちの歴史は、変化の歴史、スピード史と見ていいような気がした。
中 正夫の記述によれば――1929年当時、世界一、巨大な汽船だった「ラビアザン」が、スペイン沖で出した最高時速は28.04ノット。
アメリカ海軍の航空母艦、「レキシントン」が、3O.04ノット。
モーターボートでは、ガル・ウッドが、「ミス・アメリカno.7」を、フロリダのビスケイ湾/6マイルを疾走した最高94.12マイルの記録。
時代遅れの蒸気機関に至っては、有名な話だが、九九九型機関車がニューヨーク州で112.5マイルを出したとか、231型機関車がフレーミングとジャクソンビル間を2分30秒で走って120マイルを突破したとかいふ今から28年も前のレコードのままである。これならば一昨年特製自動自転車が127.1マイルの世界レコードにも劣り、サイドカーでさへ111.98マイルを出したのに劣っている。もう時代は蒸気機関の快速力を問題とせないのだ。
「有名な話」といわれても私には見当がつかない。「特製自動自転車」というのは、どんな自転車だったのか。おそらく、原付き自転車だろうと想像するのだが、私の想像する「原付き自転車」だって、今の人たちにはもはや見当もつかないだろう。
1929年,地下鉄,特急,高速度電車が疾走し,空には,フオッカー旅客機が飛んでいる。
断髪,ショート・スカート,レビューの時代――
昨年11月に亡くなった辻井 喬の詩に、
ある時
僕の時間は鳥であった
大きな翼で
青い空を漂っていた
僕は今
自分の時間を
汽関車にしたい
この詩(1955年)の題は「ぼく は いま」。その末尾は、
僕の時間よ
闇を走れ
ある時鉄の塊は僕の時間だ
で終わっている。