上田 敏の「現代の芸術」(明治43年/1910年)を読んでいたら、こんな一節を見つけた。
「今は機械応用の時代である、速力の時代である、エージ・オヴ・スピードである。何でも早くする、といふ考がいかにも盛んに見られます。」
上田 敏は、当時のスピード記録の例をあげている。
1893年、シカゴ=ニューヨーク間の鉄道の所要時間は20時間。だが、「ペンシルヴァニア鉄道」は、1時間51.2マイル、18時間で鉄道を走らせた。これに対抗して「ニューヨーク・セントラル鉄道」は、時速53マイルで、シカゴ=ニューヨーク間を走らせた。
「1910年の1月2日にロンドンを出発して大西洋を通過し、アメリカを横断して、サン・フランシスコまで、十日足らずで来たさうですが、これなどもずゐぶん早いものであります。それがためさしも波の荒い大西洋も、(中略)タービンの機関を使って行くと四日半で行くことができます。だからシカゴからパリに行くのには、金さへあれば雑作はないのです。その他自動車、飛行機等についても、驚くべき早い記録が出てをります。(「現代生活の基調」)
上田 敏の指摘に興味をもった私は、それから20年後の1910年の「現代生活」を調べてみた。
見つけた。「速力狂時代!」(「サンデー毎日」/昭和四年七月二十八日号)。中 正夫、筆者、いいけらく――
「東京と大阪間の自動車、専用道路が出来て200マイルの速力で交通するやうにならぬと誰がいへよう。東京とロンドン間を五百マイルの高速飛行機が通はぬと誰が断言し得ようぞ」。
こういう雑文を見つけ出して読むのは、なかなか楽しい。
「二十五年前に初めて空を飛んで,四十八マイルの速力が世界の驚異になってから二十年。世界の速力王はまずイタリーのマリオ・デ・ベルナルジ少佐の五百十二キロ七七六を推さねばなるまい。(中略)さて,これに次ぐものは,まず競走自動車であらう。八年前ラルフ・パルマ選手が百四十マイルの速力を出して世界に名を轟かして以来の大記録として一九二七年に英人セグレーブ少佐が二百三マイルを突破したが、(中略)本年三月,英人セグレーブ少佐が二度目の成功である。米国フロリダ州デイトナ海岸という世界一の良いトラックで,走りも走ったり,一時間二百三十一マイル六。」