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サマセット・モームを引き合いに出したせいで、「劇場」を読み返してみた。

 

ヒロインは46歳になる名女優、「ジューリア」。小説のオープニングで、名女優を訪問した若者がいう。
「ぼくが見に行ったのは、芝居そのものではなく、あなたの演技なんです」
同席した夫の「マイケル」がいう。
「イギリス演劇華やかなりし頃だって、大衆は、芝居を見に行ったんじゃない。役者を見に行ったんだ。ケンブルや、シドンズ夫人が何をやるか問題じゃなかった。ただ、役者を見に行くことだけが問題だった」と。

こんな数行から、私の夢想(妄想?)がはてしなくひろがってゆく。

 

「忠臣蔵」六段目。「早野勘平」が、帰宅する。猟着を脱いで、浅黄、羽二重に着替える。
観客にうしろを見せて肌襦袢ひとつ。その背中に「お軽」が着物をかけてやる。袖に手を通す。「勘平」は正面をむいて前を袷、帯をしめる。ただ、それだけの動きだが、羽左衛門(15世)のすっきり洗練されたてさばきのみごとさ。中学生の私でさえ、見ていてほれぼれとした。
私も、芝居を見に行ったのではない。役者を見に行ったのだった。