昨年(2013年)「SMASH 2」が、アメリカではじまった。(日本では、おそらく字幕翻訳の関係で、ずっと遅く歳末から2014年2月まで放送された。)
私は、このブログで「SMASH 1」をとりあげた。「マリリン・モンロー」がテーマと知ってぜひ見ておきたかったし、マリリン・モンローについても、何か「発見」があるかも知れないと思って。
私は、キャサリン・マクフィー、ミーガン・ヒルティーという、ふたりの女優/シンガーの魅力を「発見」した。ふたりとも演技力はあるし、なによりも歌がすばらしかった。
当然、「SMASH 2」も見たのだが、驚いたことに、この第二部はまったく期待を裏切った。まるっきり精彩がない。信じられないことだった。
「SMASH 2」には「SMASH 1」の、あのいきいきとしたドラマとしての緊張がない。なぜなのか。
第二部の「カレン」(キャサリン・マクフィー)と「アイヴィー」(ミーガン・ヒルティー)も、なぜか魅力がなくなっていた。「SMASH 2」全体に、ドラマとして緊張がなく、フォーカスもさだまらず、最後には見るかげもない駄作になっていた。
あのみずみずしい作品が、どうしてこれほどの失敗作になってしまったのか。
「SMASH 2」は2月に終わってしまった。日本でも、まったく評判にならなかったのだろう。最後には、ソチの冬季オリンピックの開催の影響もあったのだろう、放送時間までコロコロ変わってしまった。こうなると、シーズン・オフを目の前にしたプロ野球の、優勝チームがきまったあとの「消化試合」のように、このドラマは誰の関心も惹かないままいつの間にか哀れにものたれ死にしてしまった。
ただし、私は、なぜ「SMASH 2」がひどい失敗に終わったのか、その理由を考えている。批評家というものは、失敗作から多くのことをまなぶものなのだ。長年、おびただしい作品を読みつづけてきたので、たいていの人々よりは、小説やドラマの作法なり「結構」については考えつづけてきたと思う。
いずれ、このブログであらためて書いてみよう、と思う。
今は失望感がつよくて、何も書く気になれない。