私はアメリカに何を見たのか。
たとえば、グレーハウンド・バス,ミッドナイト・フライヤー、サンダーバード・フォード、フリーウエイ、ジェット、ジュークボックス、ゴールデン・ウエスト。
それらは、フルトン蒸気船、エジソンのレコード、チョコレートのハーシー、リグレーのガムなどと、ごっちゃになって私のアメリカになった。
私は、ルイス・ジョーダン、ルシル、メイベリーンを聞きながら、一方で、ボブ・ディラン、ジェファーソン・エアープレーンを聞いた。ペリー・コモを聞きながら、リリー・ジャネルを聞いている。だから、私の「アメリカ」は、まるでごうごうと渦を巻く混沌とした世界なのだった。
当時の私は、 ミュージカルの「シルク・ストッキング」、リリー・パーマーのノエル・カワードを見ながら、「W・C・フイールズと私」を見たり、マークー・トーウェンを読みながら,毎日,オスカー・ワイルドの戯曲を訳していた。私自身が、(他人から見れば)わけのわからない「おかしな、おかしな、おかしな世界」を生きていたような気がする。
ようするに,アメリカの混沌は、いってみればそのまま私の「現実」なのだった。
そんな私のニューヨーク雑詠を。
異国(とつくに)に名なし小草の花を摘む
騎馬警官のアヴェニュー 春を彩りて
ブロードウェイ あやしき化粧 春の宵
植草 甚一先生の泊まったホテルを選んで。
ここにして古書集めてや 紐育の春
春寒や ホテルの部屋に眼の疲れ
ニューヨーク 坂緩やかに 春の朝
花曇り ミモザの女に逢いに行く
風のなか 紫と白のリラ揺れる