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私は、長いこと映画批評を書いてきた。
そのせいもあって、アメリカでも、ほとんど毎日のように活動写真、映画を見た。たまたま、UCLAの「バークリー校」の小ホールで、毎晩、映画のクラシックを上映していた。さすがに映画発祥の国だけあって、日替わりで上映される映画は無尽蔵といっていいほどだった。
私は毎晩通いつめたが、なんと私の原作を映画化した作品が1週間前に上映されていたと知って、残念だったことを思い出す。(日本では、今年になってはじめてDVD化された。)

戦争が終わって、空襲の恐怖が去ったあとにやってきたのが外国の映画だった。旧作映画が映画館に氾濫したといっていい。
戦意高揚を目的とした日本映画は、戦争が終わった瞬間まったく顧みられなくなった。戦後の大混乱と、はげしいインフレーションが、庶民の生活を直撃した。
戦後、一番はじめに公開されたのは、「ユーコンの叫び」という3流の「リパブリック映画」だった。1945年12月。これは、戦前に輸入されながら、戦争のためにオクラになっていた映画で、映画としては、ほんとうにくだらない活劇ものだったが――たいへんな大当たりになった。
なんといっても、敗戦直後なので、アメリカ人の国民性や、その気質、生活、ようするにアメリカに対する絶大な関心が、私たちを動かしていたせいではなかったか。

そのつぎに見たのが「鉄腕ターザン」だった。戦前に公開されたが,そのまま倉庫で眠っていたフイルムを、戦後のドサクサのなかで配給業者がいそいで持ち出してきたものらしい。この旧作も、たいへんな大当たりになった。
むろん、ジョニー・ワイズミュラー主演。再公開は1946年1月。つまり、お正月映画のハシリだった。

その翌月から、アメリカの占領政策で、ハリウッド映画がぞくぞくと公開されるようになった。(イギリス映画、フランス映画の公開は、ずっとあとになる。当然、ソヴィエト映画の公開もさらにあとのことになる。もっとも、当時のソヴィエト映画は、ほとんど見るべきものもなかったはずだが。)
アメリカ映画にかぎらず、外国映画に関心をもちはじめた私は、ストーリーのおもしろさもさることながら、映画で見るアメリカと、アメリカ人の生活を知ることに大きな関心があった。むろん、アメリカ映画に出てくる若い女優たちの美しい肢体に見とれたことのほうが多かったが。